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植村 恒三郎(うえむら つねさぶろう、1882年(明治15年)2月 - 1945年(昭和20年)は、日本の林学者。林政学、森林経理学を専門とした九州帝国大学教授、同名誉教授〔『九州帝国大学一覧 昭和18年』72頁〕である。入会権について史的研究を行い〔中川恒治『入会林野の解体過程に関する研究』(信州大学演習林報告34巻)、11頁〕、川瀬善太郎に続き入会権公有論を唱える。また樺太に設けられた九州帝大演習林の指導、調査報告を行った。「本邦に於ける林野の入会関係に就て」で林学博士(東京帝大)〔『学位大系博士録』(昭和14年版)、林学博士2頁〕。 == 生涯 == === 経歴 === 旧会津藩藩士の植村家に生まれる〔『大衆人事録 近畿・中国・四国・九州篇』「植村常三郎」〕。会津中学、一高〔第一高等学校編『卒業生氏名』(1931年)、99頁〕を経て、1906年(明治39年)7月〔「会津育英会事業状況(続) 会津育英会貸費生調(大正四年十二月調)」〕に東京帝国大学林学科を18名中首席で卒業〔『東京帝国大学卒業生氏名録』(大正15年)、332頁〕。大学院を経て盛岡高等農林教授となる〔『盛岡高等農林学校一覧 明治40-42年』121頁〕。在任中に森林政策、森林行政、木材商況、経理、外国語などを担当〔『盛岡高等農林学校一覧. 明治42、43年』135頁〕〔『盛岡高等農林学校一覧. 明治43-45年』125頁〕し、またドイツに留学している。1920年(大正9年)に林学博士の学位を取得し、翌々年に九州帝大農学部教授に就任。林学第四講座を担当し〔『九州帝国大学一覧 附・第八臨時教員養成所一覧 従大正13至14年』89頁〕〔『九州帝国大学一覧. 昭和10年』99頁〕し、演習林長〔『九州帝国大学一覧 昭和2年』91頁〕〔『九州帝国大学一覧 昭和5年』98頁〕、農学部長〔『九州帝国大学一覧 昭和7年』58頁〕を務める。1942年(昭和17年)3月に退官。1938年(昭和13年)時点で高等官一等、従三位勲二等に叙されている。会津会会員〔『会津会会員名簿』(大正八年六月発行)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「植村恒三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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