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植松 有信(うえまつ ありのぶ、1759年1月2日 - 1813年7月17日)は、江戸時代後期の国学者、板木師。 尾張藩士の家に生まれたが、父が解任されたため、板木師として生計を立てた。本居宣長『古事記伝』等の出版に関わり、宣長門下で構成されるいわゆる名古屋社中の世話役を務めた。養子植松茂岳は尾張藩士に復帰し、明倫堂教授を務めた。 == 生涯 == === 生い立ち === 宝暦8年(1759年)12月4日未の刻、尾張藩士植松信貞と側室松栄院の子として生まれた〔植松(1979) p.13〕。幼名は市九郎、後に忠兵衛〔。安永3年(1774年)2月1日父が金方納戸勤務中の借金〔植松(1979) p.11〕あるいは上納金の滞納〔藤田(1912) p.1〕とされる理由で牢人となり、一家は幅下の屋敷を追放された〔植松(1979) p.33〕。 天明2年(1782年)5月田中道麿から借用したと思われる本居宣長『万葉集玉の小琴』を写しており、この頃から国学に接していたことがわかる〔植松(1979) p.40-41〕。 天明5年(1785年)1月22日父の病死後、縁戚の大原平兵衛方に預けられたが、平兵衛の斡旋で借家に住み、母と兄弟を呼び寄せた〔植松(1979) p.52〕。一家の生計を立てるため、これ以前に京都で覚えたという板木彫刻の仕事を始めたが、この頃横井千秋等により本居宣長の大著『古事記伝』の出版計画が持ち上がったこととの関係が想像される〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「植松有信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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