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椎津城(しいづじょう)は、千葉県市原市椎津にあった日本の城。 == 概要 == 千葉県市原市の南の玄関口、姉崎の八坂神社の裏手の台地に広がる椎津城は、南北約400m、東西約180m、標高28mで同市内でも最大級規模の城郭である。〔日本城郭体系6(千葉・神奈川)新人物往来社P183〕 椎津は豊かな穀倉地帯を臨み、武蔵・下総から上総・安房の房総に通じる交通の要所であったため、この城をめぐる攻防戦が幾度となく繰り広げられた。 しかし、椎津城跡は宅地化がすすんでおり、本丸も私有地のため立ち入りができない。 城跡は消滅の危機にあり、市当局による早急な史跡の整備が求められる。 椎津城の支城としては、久保田城(袖ヶ浦市久保田字浜宿)、蔵波城(袖ヶ浦市蔵波)、神代城(市原市神代)、 海保城(市原市海保字公家台)、要害山城、(市原市畑木字要害台)、万台城(市原市内引田字木々野)などがある。〔日本城郭体系6(千葉・神奈川)新人物往来社P178、P185、P196、P197、P248〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「椎津城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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