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椙原紙 : ミニ英和和英辞書
椙原紙[かみ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
原紙 : [げんし]
 【名詞】 1. stencil 2. silkworm egg sheet

椙原紙 ( リダイレクト:杉原紙 ) : ウィキペディア日本語版
杉原紙[すぎはらがみ]

杉原紙(すぎはらがみ、すいばらがみ、椙原紙)は、和紙の一種である。
杉原紙、椙原紙、のほか、歴史的には単に「杉原」とするほか、「すいば」「すいはらがみ」「すいはら」「すい」や「水原」「水原紙」の表記もみられる〔〔。
九州から東北の各地で生産され、中世には日本で最も多く流通し、特に武士階級が特権的に用いる紙としてステータスシンボルとなった。近世には庶民にまで普及したが、明治に入ると急速に需給が失われ、姿を消した。
その後「幻の紙」とされていたが、近年になって、原産地が兵庫県であると考えられるようになり、現地で和紙の生産が再開された。再興後は「杉原紙」の名称で兵庫県の伝統工芸品とされている。
==概要==
「杉原紙」という名称は、歴史的に2つの異なる意味で用いられてきた。
ひとつは「杉原地域で生産された和紙」を指す語で、もうひとつは「杉原式の製法で作られた和紙」を指す語である。
後者の「杉原紙」は中世から近世にかけて、日本各地で作られるようになっており、「杉原紙」や単に「杉原」と呼称されていた。この杉原紙は、鎌倉幕府の公用紙となり、大量に流通した。この頃、武士階級に一束一本という贈答品の慣習が定着したが、ここでいう「一束」は通常「杉原紙を一束(一束は約500枚)を意味した。武士に対して手紙を書く際には杉原紙を用いるのが作法とされ、杉原紙は武家を象徴する和紙となった。
杉原紙は極めて大量に流通してあちこちで生産され、様々なバリエーションが登場して人気を博したため、「杉原紙の特徴」を特定して端的に説明することは難しい。しかしおおまかに言うと、コウゾを原料とし、米粉を添加し、凹凸(皺)のない和紙ということができる。
杉原紙は江戸中期には庶民も使うほどに普及し、需要を賄うため各地で様々な「杉原紙」が生産されるようになった。江戸期に「杉原紙」を生産していたのは、九州から東北まで20ヶ国に及ぶ。やがて明治期に至るが、その頃には「杉原紙」はきわめて一般的な紙になっていたので、「杉原紙」のルーツがどこにあるかは、もはやわからなくなっていた。たとえば江戸期や室町期の文献には、「板漉き」という製法が杉原紙の特徴であるとの記述があったが、幕末の研究者には「板漉き」というのがどのような技法であるか、わからなかった。「杉原紙」がなぜ「杉原紙」と呼ばれるのかも不明で、もともと「杉原」という土地で作られたのだろうとは推測したが、その「杉原という土地」がどこなのかは諸説あって定まらなかった。室町期に最良の杉原紙とされたのは「加賀杉原」といい加賀国で生産された杉原紙だったし、美濃国杉原村が発祥とする説(『新撰美濃志』1900年)もあった〔〔。
近代になって西洋紙が流入すると、手作業で小規模で生産される和紙は、大規模な工場で生産される西洋紙にとって換わられるようになった。武士階級が消滅したことで一束一本の慣習も廃れ、杉原紙の需要は激減し、大正時代には杉原紙の生産は全く行われないようになって姿を消した。杉原紙は「幻の紙」と呼ばれるようになった。
昭和初期に研究家が杉原紙のルーツを調べ、1940年(昭和15年)に兵庫県(旧播磨国)の杉原谷村(合併により、加美町を経て2014年現在は多可町の一部)が発祥の地であると結論づけた〔〔。播磨国は古代から製紙が行われていた地域のひとつと考えられており、美濃国などとならび和紙の生産国として最も古い地域とする説もある。そのなかで杉原谷は藤原摂関時代に藤原氏の荘園(椙原庄)だった地域で、かなり古い時期から和紙の生産が行われていたとされる〔「和紙」をどう定義するかによっても、これらの起源に関する説は異なったものになる。大陸から紙の製法が伝来したと考える説に従うと、はじめは渡来人が大陸風の紙漉きを日本で行ったことになるが、これを「和紙」とみなすかどうかによって差異が生じる。「和紙」固有の特徴として「流し漉き」という製法があり、長いあいだ一般に「流し漉き」が「和紙」の概念の主要な部分を占めていた。この考え方に従えば「流し漉き」の発祥が「和紙」のルーツということになる。しかし近年になって、「流し漉き」の技法は東南アジアなどにも存在していたことがわかってきており、「流し漉き」は日本にしかない製法とはいえないことが明らかになりつつある。〕。
杉原谷では、1972年(昭和47年)に当時の加美町(2014年現在は合併により多可町の一部)が出資し、町立杉原紙研究所を設立し、和紙の生産を再開した〔〔。再開された和紙づくりでは、かつて武士階級の間で使われたとされる「杉原紙」の特徴的な製法(板漉きや米粉の添加)は行っていない。この再興された「杉原谷生産の和紙(杉原紙)」は、1983年(昭和58年)に兵庫県の無形文化財に指定され、1993年(平成5年)には兵庫県によって伝統的工芸品とされた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「杉原紙」の詳細全文を読む




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