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椙杜 隆康(すぎもり たかやす、生没年不詳)は、戦国時代の武将。大内氏、後に毛利氏家臣。父は椙杜房康。弟に元勝、元種。養子に元秋、元康、元縁。周防蓮華山城主。 大内義隆の家臣であったが、天文20年(1551年)に陶隆房(晴賢)によって大内義隆が弑逆されるとそれに従った。しかし心中に含むものがあったらしく、天文24年(1555年)の厳島の戦いで晴賢が討死し、毛利元就が周防へと侵攻すると、元就からの帰属勧告を受けて毛利氏に服属した。また、同じ頃毛利氏に降伏した鞍掛山城主杉隆泰の降伏が偽りであると注進。これに対し元就は先手を打ち、杉隆泰を攻め滅ぼした。この毛利氏への服属と、杉隆泰攻めの功を賞されて、元就より感状と起請文と杉隆泰の遺領を与えられている。この後も元就の防長経略において、玖珂郡祢笠の土寇討伐で活躍し、豊前での大友氏との戦いにおいても手柄を立てている。 隆康には子がなかったため、元就の子である元秋を養子に迎えている。後に元秋が月山富田城主になったため、その弟の末次元康が椙杜家を継いだ。しかし、元秋は天正13年(1585年)、月山富田城内で病死。後任として元康が任じられたため、またもや椙杜氏の家督は空となった。その後、毛利氏の重臣志道元保の子の志道元縁を養子として跡を継がせた。 == 関連項目 == *椙杜氏 *長府藩 *防長経略 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「椙杜隆康」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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