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椛島 有三(かばしま ゆうぞう、1945年 - )は、日本の政治活動家。日本会議事務総長〔「(日本会議研究)憲法編:上 改憲へ、安倍政権と蜜月」 、朝日新聞、2016年3月23日。〕、日本青年協議会・日本協議会会長、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」事務局長〔役員名簿 憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会〕。 == 経歴 == 佐賀県生まれ、1965年に長崎大学教育学部に入学した〔。 大学在学中に、大学紛争で全日本学生自治会総連合・全学共闘会議に対抗するため「長崎大学学生協議会」(のち全国学生自治体連絡協議会に発展)を結成。 当時は大学闘争が盛んな時代であり、長崎大学も日本社会主義青年同盟(のち派閥の一つが社青同解放派となる)系の「全国反帝学生評議会連合」(反帝学評)による占拠封鎖で授業が行われない状態に陥ったが、1966年に生長の家の信者の子弟たちの組織として発足していた「生長の家学生会」の学生達(のちの「―全国総連合」。通称「生学連」)が、「長崎大学学生協議会」(長大学協)としてこれを排除し「正常化」に成功した〔。椛島は、この活動のリーダーであった〔。この長崎大学における活動は全国の右翼学生達に大きな影響を及ぼし、1969年には、民族派学生組織として全国学生自治体連絡協議会(全国学協)が結成されるに至った〔。 1970年、長崎大学を中退後〔椛島有三、仲村俊子『祖国復帰は沖縄の誇り』明成社、2012年、著者紹介〕、日本青年協議会の結成に参加、その月刊誌『祖国と青年』を主宰し、同誌に多数の論文を発表するようになった〔。日本青年協議会では書記長も務め〔、後に会長になっている〔。1978年に石田和外が中心になって結成された「元号法制化実現国民会議」、それを改組して1981年に結成された日本を守る国民会議で事務局長を務め、1997年にその後進団体として結成された日本会議では事務総長となった〔。また、天皇陛下御即位十年奉祝委員会事務局長〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕、天皇陛下御即位20年奉祝委員会副事務総長なども務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「椛島有三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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