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鍋田 玉英(なべた ぎょくえい、弘化4年〈1847年〉10月‐没年不明)とは、明治時代の浮世絵師。 == 来歴 == 楊洲周延の門人。姓は鍋田、名は吉資(よしやす)。始め延春と号し、後に楊堂と号す。浅草西島越町、また下谷御徒町二丁目16番地に住んでいた。作画期は明治10年(1877年)から明治35年(1902年)頃で、主として理知的な風俗画などを描いた。錦絵「帝国議会衆議院議員」は第1回衆議院選挙の後、帝国議会開会の直前に議会というものがどのようなものかワクワク想像しながら描いたものであった。明治初期に刊行された河鍋暁斎らの版画帖『能版画雑集』には能「鉢木」を描いている。また明治14年(1881年)刊行の『怪物画本』では、鵺、玉藻前、酒呑童子などといった妖怪や伝説上の生き物を描いている。明治32年(1899年)9月刊行の『山水画譜』も知られており、春の梅林、夏の荒川の筏乗りなどの絵を手がけている。 門人に梶田半古、飯沼玉亀、玉波がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鍋田玉英」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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