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楊昭 : ミニ英和和英辞書
楊昭[よう しょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よう, やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim

楊昭 : ウィキペディア日本語版
楊昭[よう しょう]
楊昭(よう しょう、584年 - 606年)は、中国煬帝(楊広)の長男。皇太子に立てられたが、早逝した。元徳太子と史称される。
== 生涯 ==
584年1月、楊広と蕭妃(のちの蕭皇后)の間に生まれた。大曹主と称され、祖父の文帝(楊堅)に特に可愛がられた。595年、河南王に立てられた。601年、晋王に徙封され、内史令に任ぜられ、左衛大将軍を兼ねた。604年、雍州牧に転じた。煬帝が即位すると、洛陽に幸したため、楊昭は大興城で留守を守った。605年、皇太子に立てられた。楊昭は武力に長け、強弩をよく引き、態度は謙虚でつつましく、怒りを見せることがなかったと伝えられる。生活は質実簡素で、臣下に父母あるものにはその安否を訊ね、歳時に合わせて贈り物を送った。606年、洛陽に向かい、煬帝の朝廷に出仕した。間もなく病の床に伏し、煬帝が巫者に見せると房陵王(楊勇)の祟りと言われた。7月23日、行宮で世を去った。
子に楊侑(恭帝侑)・楊倓楊侗(恭帝侗、皇泰主)がいた。楊侗が皇帝に擁立された際、楊昭に孝成皇帝の諡号と世宗の廟号が追贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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