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楊梅 兼高(やまもも かねたか)は、鎌倉時代末期の公卿。従二位、右衛門督。父は従二位民部卿楊梅兼行。母は従三位藤原頼清の娘。父と共に持明院統の近臣一辺倒であったため、後醍醐天皇在位時にはめぼしい官職をあてがわれなかった。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 正応6年(1293年)1月5日、叙爵。永仁3年(1295年)4月8日、従五位上に昇叙。永仁5年(1297年)5月20日、正五位下に昇叙。12月17日、侍従に任ぜられる。正安2年(1300年)5月29日、従四位下に昇叙。閏12月22日、左少将に任ぜられる。嘉元3年(1305年)1月5日、従四位上に昇叙。延慶元年(1308年)10月12日、左中将に転任。延慶2年(1309年)1月6日、正四位下に昇叙。延慶3年(1310年)12月28日、右中将に移る。正和2年(1313年)9月6日、右兵衛督に任ぜられる。 正和4年(1315年)1月5日、従三位に叙される。同月13日、右兵衛督は元の如し。6月27日、右兵衛督を止める。7月21日、兵部卿に任ぜられる。文保元年(1317年)2月5日、右衛門督に移る。4月16日、右衛門督を止める。元亨2年(1322年)、正三位に昇叙。正慶元年/元弘2年(1332年)1月5日、従二位に昇叙。正慶2年/元弘3年(1333年)5月17日、正三位に戻される。建武4年/延元2年(1337年)3月29日、従二位に昇叙。暦応元年/延元3年(1338年)12月28日、死去。享年52。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楊梅兼高」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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