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楊 秋(よう しゅう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の魏にかけての武将。 == 事跡 == 馬超・韓遂が曹操に敵対したとき、共に蜂起した軍閥の一人として名前が見える。建安年間の初め頃から、何度か部下の孔桂を曹操の下へ派遣した形跡がある。 211年10月、夏侯淵・張郃に降伏し、以前と同じ爵位を与えられた。 降伏時、曹操と対面し「最初から帰順するつもりであったため、(遠方の)涼州まで逃亡せず、安定で降伏した。」と告げると、曹操に「帰順するつもりであったのなら何故逃亡したのか」と詰問され、これに対し「付き合いで」と返答した。このため曹操は大笑いし、帰順を認めたとする逸話が残る。 その後、反乱の鎮圧などで功績を挙げ、討寇将軍・特進へ昇進し、臨涇侯に封じられた。 小説『三国志演義』では、韓遂の「手下八部」の武将の一人として登場する。馬超と韓遂が仲違いした際には、韓遂の降参の使者として曹操の下に参じ、列侯に採り立てられている。なお、演義で登場する「手下八部」(他の7名は侯選・張横・程銀・成宜・李堪・馬玩・梁興)は、正史にその名が登場する涼州の独立した軍閥の者達である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楊秋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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