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楠木 正勝(くすのき まさかつ、生没年不詳)は南北朝時代の武将。正能とも。官名は右馬頭か。楠木正成の子楠木正儀の子。正秀、正元、正則、津田正信らの兄。子に伊勢楠木氏の祖となる正顯(正盛)、また盛信などの名が伝わっている。正秀を弟ではなく子とする説もある。北朝、室町幕府に徹底抗戦した。 == 経歴 == 正確な資料に乏しく、兄弟・一族の事跡と混同されている場合があるが、一貫して南朝側の軍事行動を起こしている。 1382年に土丸城に篭城し山名義理と争うが大内義弘の援軍に敗れる。1385年山名氏清と河内国で争い奮戦するが、敗れて退却する。 元中五年(1388年)8月、紀伊国の名勝和歌浦からの帰京中の室町幕府第3代将軍の足利義満を奇襲しようと企てるが、河内国平尾城付近で逆に山名氏清の攻撃を受けて敗走。 1390年山名・細川の河内国平定軍に敗れ、楠木氏の根拠地千早城に逃亡した。1392年には畠山基国に千早城も落とされ、正勝ら兄弟は吉野十津川に逃亡。1399年応永の乱を起こした大内義弘に楠木某は二百余騎の軍を率いて組するが、これを率いていたのは正勝かあるいはその兄弟なのかは定かではない。堺に3か月余篭城の末に室町幕府軍に敗れ、これ以降の事跡は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楠木正勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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