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楠木 正家(くすのき まさいえ、生年不詳 - 貞和4年/正平3年(1348年))は、南北朝時代の武将。官位は蔵人、左近将監。楠木正成の一族。甥とも弟とも言われている。 正成が常陸那珂郡に与えられた所領の代官として下向した。建武3年(1336年)1月、瓜連城に入城し、小田治久、那珂通辰ら那珂・川野辺氏一族、広橋経泰、大掾高幹、長岡宣政ら大掾氏一族、千葉氏一族の相馬胤平などと共に北朝方の佐竹貞義らと争い、貞義の子義冬を討ち取るなどの戦果を挙げたが、同年12月落城。常陸の南朝方は小田城など常陸西部に撤退した。 正家は瓜連城陥落後、一旦奥州に移動し、その後畿内方面に戻ったと言われている。正平3年(1348年)楠木正行に従い、四條畷の戦いに参戦。戦死したとされる。 一方、四条畷では戦死しなかったという説もある。 秋田県由利本荘市の旧大内町役場敷地内に楠木正成孫の「楠正家公墓」とされるものがあり、その子孫が由利十二頭の打越氏であると伝えられている。秋田市内には伝・万里小路藤房墓も存在し、南朝の勢力もあったことから、この方面に派遣されたとしても不思議ではないが、墓とされるもの以外の証拠はない。 ==関連項目== *楠木氏 *熊野国造和田氏 *四條畷神社 まさいえ category:1348年没 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楠木正家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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