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楠木正家 : ミニ英和和英辞書
楠木正家[くすのき まさいえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くすのき]
 【名詞】 1. camphor tree 2. cinnamonum camphora 
楠木 : [くすのき]
 【名詞】 1. camphor tree 2. cinnamonum camphora
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

楠木正家 : ウィキペディア日本語版
楠木正家[くすのき まさいえ]
楠木 正家(くすのき まさいえ、生年不詳 - 貞和4年/正平3年(1348年))は、南北朝時代武将官位蔵人、左近将監。楠木正成の一族。甥とも弟とも言われている。
正成が常陸那珂郡に与えられた所領の代官として下向した。建武3年(1336年)1月、瓜連城に入城し、小田治久那珂通辰那珂川野辺氏一族、広橋経泰大掾高幹長岡宣政大掾氏一族、千葉氏一族の相馬胤平などと共に北朝方の佐竹貞義らと争い、貞義の子義冬を討ち取るなどの戦果を挙げたが、同年12月落城。常陸の南朝方は小田城など常陸西部に撤退した。
正家は瓜連城陥落後、一旦奥州に移動し、その後畿内方面に戻ったと言われている。正平3年(1348年楠木正行に従い、四條畷の戦いに参戦。戦死したとされる。
一方、四条畷では戦死しなかったという説もある。
秋田県由利本荘市の旧大内町役場敷地内に楠木正成孫の「楠正家公墓」とされるものがあり、その子孫が由利十二頭の打越氏であると伝えられている。秋田市内には伝・万里小路藤房墓も存在し、南朝の勢力もあったことから、この方面に派遣されたとしても不思議ではないが、墓とされるもの以外の証拠はない。
==関連項目==

*楠木氏
*熊野国造和田氏
*四條畷神社
まさいえ

category:1348年没

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「楠木正家」の詳細全文を読む




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