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楠本正隆 : ミニ英和和英辞書
楠本正隆[くすもと まさたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くすのき]
 【名詞】 1. camphor tree 2. cinnamonum camphora 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

楠本正隆 : ウィキペディア日本語版
楠本正隆[くすもと まさたか]

楠本 正隆(くすもと まさたか、天保9年3月20日1838年4月14日) - 明治35年(1902年2月7日)は、肥前大村藩の武士、明治期の政治家男爵大久保利通の腹心として知られた。
== 来歴 ==
肥前大村藩士・楠本直右衛門正式(60石)の長男として玖島城下の岩船に生まれる。藩校五教館の監察、頭取を務めた。中老として尊攘倒幕運動で活躍し、渡辺昇ら「大村三七士」の一人として知られる。
1868年、徴士として新政府に出仕。長崎府判事兼九州鎮撫使参謀助役をつとめ、1870年明治3年8月)に外務大丞1872年(明治5年)5月に外務大丞を経て、同年5月24日新潟県令として就任する。1875年(明治8年)11月7日の離任までの間、大川津事件を鎮定、柏崎県を新潟県に併合、第四国立銀行設立など県の近代化に尽力した。本邦初の国立市民公園の白山公園を開設する。その他、県議会の開設や地租改正推進などに努め、大久保からは「天下随一の県令」と賞された。
1875年(明治8年)6月に、政府が地方官会議を東京に開催し、その幹事長となる。同年8月に内務大丞に転じ、同年12月19日に東京府権知事を兼任する。1877年(明治10年)1月22日に府政に専念し、東京府知事となる。
料理店、待合、船宿、魚市場、野菜市場に府税を賦課し、道路橋梁を改修。市区を改正(大区小区制を廃止し、府内を15区6郡に)した。
1879年(明治12年)12月12日に知事を退任し、同年元老院議官となる。1889年(明治22年)東京市会議員となり、同年東京市会議長となる。
1889年(明治22年)12月から1890年(明治23年)10月まで元老院副議長を務め、1890年(明治23年)に衆議院議員に当選し、同年10月20日、錦鶏間祗候となる〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。1893年(明治26年)に衆議院副議長となる。後に、星亨の議長不信任案が可決され、同年衆議院議長に就任した。政党活動を通じて立憲改進党などを組織し、都新聞社主や社長も務めるなど民権の伸張や政界刷新に努めた。
1896年(明治29年)6月5日、維新の功により男爵を授けられる。同年、議員を辞職。その後、錦鶏間祗候を拝命。
1902年(明治35年)死去。享年65。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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