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楠部 三吉郎(くすべ さんきちろう、1938年1月1日 - )は、アニメ制作会社シンエイ動画の名誉会長。楠部大吉郎(Aプロダクション・シンエイ動画創立者、前代表取締役会長)は実兄、ライターの楠部工は甥、イラストレーターの楠部文は姪に当たる。 == 来歴 == 俳人だった父(楠部南崖)を関東軍将校が「取り巻き」の一人として旧満州国に連れて行ったことから、自身も満州で生まれ育つ〔楠部、2014年、pp. 125 - 126〕。終戦とともに引き上げ、群馬県沼田市に居住した〔楠部、2014年、pp.126 - 129〕。群馬県立沼田高等学校から明治学院大学経済学部卒〔楠部、2014年の著者紹介による〕。楠部自身の記述では高校卒業後、酒問屋で1年半勤めてから受験して明治学院大に進んだものの、授業には全く出席せず、保持していた運転免許を生かしたアルバイトに明け暮れていたという〔楠部、2014年、pp.142 - 151〕。大学卒業後、エアコンやサッシ営業のサラリーマンとなり、いずれも好成績を収めたが、アニメ業界で営業に苦労している兄・大吉郎を手伝うため、1970年に東京ムービーに入社した〔楠部、2014年、pp.159 - 173〕。東京ムービーでは『新オバケのQ太郎』・『ジャングル黒べえ』・『侍ジャイアンツ』・『ガンバの冒険』・『元祖天才バカボン』などの作品に携わる。1976年、兄とともにシンエイ動画を設立する〔。 シンエイ動画設立後は制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支え、自身も経営に参加した。設立間もない頃、『ドラえもん』に惚れ込み再アニメ化を希望して活動。原作者藤子・F・不二雄の説得に始まり、制作資金の確保やテレビ局へのセールスなどの苦労を経て、日本テレビ版から6年後にテレビ朝日での放映を実現させ、アニメ版ドラえもんを成功させた立役者でもある。 1980年には映画『ドラえもん のび太の恐竜』のプロデューサーも担当。1990年には社長に就任し、「ドラえもん」を筆頭に数々の藤子アニメの新作やリメイク、『クレヨンしんちゃん』や『あたしンち』など数々のヒット作を世に送り出している。 シンエイ動画での『ドラえもん』放映開始から25年経ったのを機に、「視聴者である子ども」に近い世代に交代すべきと観点から、声優・メインスタッフの変更に踏み切った〔楠部、2014年、pp.251 - 255〕。 2009年4月、シンエイ動画社長を退任〔楠部、2014年、p.259〕。同年、自身が保有していたシンエイ動画の株式(全体比10%)の大半をテレビ朝日社長だった早河洋に委ね、翌2010年にはテレビ朝日に譲渡した〔楠部、2014年、p.262〕。これによりシンエイ動画はテレビ朝日の完全子会社となり、創業者一族である楠部家は経営から完全に身を引き、代表権のない名誉会長に就任。株式を譲渡した理由について楠部は「シンエイ動画という会社を次世代に引き継ぐには、同族企業じゃダメだと思った」と記している〔楠部、2014年、p.260〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楠部三吉郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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