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都ぞ弥生(みやこぞやよい)は、北海道大学の学生寮である恵迪寮の寮歌の一つ。 1912年(明治45年)度の寮歌として作られた。当時の恵迪寮は、北海道大学の前身となる東北帝国大学農科大学の予修科(予科)学生の寄宿舎であった。恵迪寮では1907年から寮歌が作られており、都ぞ弥生は第6回目の寮歌である。 作曲者は当時予科3年生であった赤木顕次(1891年 - 1959年)。作詞者は同じく2年生であった横山芳介(1893年 - 1938年)。 さっぽろ・ふるさと文化百選のNo.099に選定されている〔札幌市民憲章制定50周年記念誌 第2章 ランキング札幌 - PDF p.18(7枚目)〕。 == 概要 == 都ぞ弥生は自然の美しさを讃える歌詞であるのが特徴である。色彩や光彩を表現する言葉が多く使われ、星・雲・空などの広大な自然を表す言葉も多い。1番の歌い出しの 「都」 とは、今日ではしばしば札幌のことと誤解されるが、当時の札幌は都会ではなかった。また、当時の大学予科は9月入学であり、1番の歌詞は実際には、華やかな都 (おそらく東京) の春の桜の姿を暫時のものと見限り、「人の世の清き国」 北海道に憧れた心情を歌っているのである。 都ぞ弥生の歌碑は、北海道大学構内と静岡市の2箇所にある。北海道大学構内のものは、1957年に大学創基80周年記念行事の一つとして建立され、札幌市北区歴史と文化の八十八選のうち、「1.文学と学問の道〈鉄西・幌北コース〉」に属する「19.恵迪寮歌『都ぞ弥生』歌碑」として選定されている〔札幌市北区役所 - 19.恵迪寮歌「都ぞ弥生」歌碑 〕。静岡市のものは、横山芳介の菩提寺である長源禅院の中に横山の没後20年を記して、横山に育てられた孤児の河田悠記恵と静岡市在住の同窓生等により1958年1月に建てられた。刻まれた文字は横山の遺品のノートから復刻されたものである。 歌詞は5番まであるが、1・2番のみや1・2・5番のみが歌われることが多い。寮生や応援団により歌われているメロディーと合唱団などにより歌われているメロディーには若干異なる所がある。また、寮生や応援団によるもののほうがゆっくりとしたテンポで、間をとって歌われる。一説によると、例年市内の円山公園で行われる応援団主催の春の花見会で、都ぞ弥生を歌いながら会場へ歩きはじめ、会場到着と同時に歌い終わるように歌ったためゆっくりとなった、とある。 しばしば「日本三大寮歌」の一つに挙げられる。他の二つは、旧制第一高等学校寮歌「嗚呼玉杯」と旧制第三高等学校寮歌「逍遥の歌」である。なお、「日本三大校歌」の一つと言われることもままあるが、都ぞ弥生などは、校歌ではないので誤りである。 昭和時代の北大生の学生生活を描いた『七帝柔道記』には「都ぞ弥生」の前口上と5番までのすべての歌詞が紹介され、学生たちが歌うシーンが頻繁に出てくる。同作品には他に「ストームの歌」や「瓔珞みがく」などを歌うシーンもある。 2015年現在、北海道大学(札幌キャンパス)構内のインフォメーションセンター「エルムの森」館内のオルゴールメロディとして流れている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「都ぞ弥生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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