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楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 ‐ )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(2期)。 衆議院議員、社会民主連合書記長・副代表を務めた楢崎弥之助は父。母は、部落解放同盟執行委員長の松本治一郎の姪の長女である〔岩尾清治『遺言・楢崎弥之助…命ひとすじ』p.50〕。名前は泉鏡花の『瀧の白糸』に登場する検事・村越欣弥に由来〔岩尾清治『遺言・楢崎弥之助…命ひとすじ』p.64〕。 == 来歴 == 福岡県福岡市生まれ。東福岡高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。大学卒業後、農用地開発機械公団(現緑資源機構)勤務を経て、父・楢崎弥之助の秘書を務める。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で福岡3区から出馬したが、自由民主党の太田誠一に敗れ、落選した。福岡3区は、父・弥之助の選出選挙区であった旧福岡1区に含まれる。なお弥之助が所属していた社会民主連合は1994年に解党し、所属議員の多くは日本新党、新党さきがけに加わったが、弥之助はいずれの党にも入党しなかった。日本新党は1995年、新進党に合流している。 2000年の第42回衆議院議員総選挙では福岡4区に国替えし、選挙区では自民党の渡辺具能に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、初当選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙でも渡辺に敗れ、比例復活で再選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、比例復活も叶わず落選した。落選後も第45回衆議院議員総選挙に出馬する意向を示していたが、2007年10月、次期総選挙に出馬せず政界を引退する意向を表明した(後継は古賀敬章)。 2010年、民主党の参院議員候補・村田直治への投票を呼びかける文書を公示前に作成・郵送し、公選法違反(事前運動、法定外文書頒布)容疑で略式起訴され、30万円の罰金刑を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楢崎欣弥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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