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楯岡氏 : ミニ英和和英辞書
楯岡氏[たておかし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たて]
 【名詞】 1. shield 2. buckler 3. escutcheon 4. pretext
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

楯岡氏 : ウィキペディア日本語版
楯岡氏[たておかし]

楯岡氏(たておかし)は、清和源氏足利氏斯波氏の分族である戦国大名最上氏の一門の氏族。
== 概要 ==
最上氏は出羽国内各地に分族を配置した。楯岡氏もその一つである。楯岡城に配置された最上満直の四男満国を祖とする。戦国時代には多くの最上氏一門が離反する中で、楯岡氏も一時、庶流の長瀞氏とともに最上八楯に加入する。天正5年(1577年)、最上義光が八楯の盟主・天童氏を攻撃すると、楯岡満英も天童側につき、宗家に対して明確に反旗を翻した。しかし、天正8年(1580年)、義光が再び天童頼久を攻撃すると、天童側は寝返りが相次ぎ敗北。満英は自害した。家督は一族の楯岡満茂が相続、その後は常に最上氏に追従し、満茂は最上義光の片腕として活躍。各地で武勲を挙げ、慶長出羽合戦後は本荘城45000石を与えられ、本荘氏を名乗った。しかし後に最上氏は改易され、楯岡氏は出羽の地から姿を消すことになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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