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楯甲幸男 : ミニ英和和英辞書
楯甲幸男[たてかぶと さちお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たて]
 【名詞】 1. shield 2. buckler 3. escutcheon 4. pretext
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

楯甲幸男 : ウィキペディア日本語版
楯甲幸男[たてかぶと さちお]

楯甲 幸男(たてかぶと さちお、本名:南 幸男(みなみ さちお)、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で、中村部屋に所属した大相撲力士。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、押し、寄り。
== 来歴・人物 ==
17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。
三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。この頃は、「今大嶋」と名乗っていた。
西十両15枚目に在った1952年5月場所では、12勝3敗と大きく勝ち越し、十両優勝を遂げている。新入幕を果たしたのは1954年3月場所での事で、初土俵から12年2ヶ月を要した。なお、入幕に先立って、当時の師匠(元前頭1・楯甲新蔵)の現役名をそのまま襲名して「楯甲」へと改名している。
左四つからの寄りや押しを得意としたが、極度の近視だった事もあってか、速攻相撲の力士には苦戦したという。幕内には計3度昇進したが、いずれも負け越している(1954年3月場所…5勝10敗、1955年9月場所…6勝9敗、1956年3月場所…4勝11敗)。
二所ノ関一門の巡業では初っ切りを担当したり、相撲甚句を詠んでいた事がある。大食で知られ、ある時寿司の大食い大会を行った際に93個で2位だったが、「その前に餅を15個食わなければよかった」と悔やんだという逸話がある。
現役晩年は幕下26枚目まで陥落し、1958年7月場所後、33歳で廃業
その後は日立造船に勤務する傍ら、同社の相撲部の指導にも当たった。
2002年5月28日、逝去。77歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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