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北条 重時(ほうじょう しげとき)は、鎌倉時代前期の北条氏の一門・武将・政治家。 鎌倉幕府2代執権・北条義時の3男。母は正室で比企朝宗の娘・姫の前。初代執権・北条時政の孫。尼将軍・尼御前と呼ばれた北条政子の甥にあたる。極楽寺流の祖。 六波羅探題北方・鎌倉幕府連署など幕府の要職を歴任し、第3代執権の異母兄・北条泰時から娘婿の第5代執権・北条時頼を補佐して幕政を主導しながら鎌倉幕府政治の安定に大きく寄与した。『六波羅殿御家訓』『極楽寺殿御消息』等の家訓の作者でも知られる〔森幸夫『北条重時』 はしがき5P〕。 == 生涯 == === 少年期 === 建久9年(1198年)6月6日、源頼朝死去の前年に、北条義時の三男として鎌倉で生まれる。母は頼朝の仲介で義時の正室となった姫の前で、父義時は36歳、同母兄の朝時は6歳、異母長兄泰時は16歳の時である。 建仁3年(1203年)、6歳の時に比企能員の変が起こり、母の実家比企一族が義時ら北条氏によって滅ぼされた。姫の前は義時と離婚して上洛し、源具親と再婚した3年後、重時が10歳の時に京都で死去している。『吾妻鏡』には、兄泰時・朝時、異母弟政村・実泰の元服記事があるが、重時の元服の記録はなく、元服した頃と思われる時期には母が京で亡くなっており、あまり恵まれた少年時代ではなかったと見られる。建暦2年(1212年)、15歳の時に義時の嫡男であった同母兄の朝時が父の勘気を被って義絶されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条重時」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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