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極道コンビ(ごくどうコンビ)は、プロレスラーのグレート小鹿と大熊元司によるプロレスのタッグチーム。そのチーム名の通り、主にヒールのポジションで活躍した。 == 概要 == 日本プロレス在籍時の1967年8月より共にアメリカに遠征し、ライジング・サンズ(''The Rising Suns'')のチーム名でテネシーやジョージア地区で活動。テネシーでは同年10月にNWA世界タッグ王座を獲得し、エディ・グラハム&サム・スティムボートやジャッキー・ファーゴ&ヘイスタック・カルホーンなどのチームとも対戦した。 渡米中、大熊がホームシックで体重が大幅に減少したため、1968年に単独で帰国。小鹿はシングルプレイヤーとしてアメリカでの活動を続けるが、1970年9月の小鹿の帰国から約半年後に大熊が再渡米。その後、大熊は日本プロレスに戻ることなく1972年に全日本プロレス旗揚げに参加、小鹿は日本プロレスに残留したためコンビは一時解散となったが、翌1973年4月に日本プロレスが崩壊。小鹿が他の日プロ残党と共に6月より全日本プロレスに合流したため、再び両者のタッグが復活することとなった〔。 1976年3月26日には韓国のソウルにて、日本プロレスの崩壊に伴い封印されていたアジアタッグ王座を獲得。以降、1981年5月23日にケビン・フォン・エリック&デビッド・フォン・エリックに敗れるまで、同王座を通算4回獲得した(挑戦者チームには、バリアント・ブラザーズ、タンク・パットン&テッド・デビアス、ボボ・ブラジル&カルロス・コロン、天龍源一郎&高千穂明久、クルト・フォン・ヘス&カール・フォン・スタイガーなどがいる。4度目の戴冠時の王座決定戦ではザ・キウイズと対戦した)。 1970年代後半は国際プロレスのリングにも参戦し、アニマル浜口&マイティ井上の浪速ブラザーズとアジアタッグ王座を争った。1979年8月26日の『プロレス夢のオールスター戦』では長州力&アニマル浜口と対戦している。 アジアタッグ王座陥落後の1981年末には『世界最強タッグ決定リーグ戦』に初出場。以降も1986年までチームを継続させ、ジャパンプロレス勢や国際血盟軍とも対戦したが〔、1988年に小鹿が一時引退したためコンビは解散、さらに1992年に大熊が現役中に死去したため、事実上終結した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「極道コンビ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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