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樂 吉左衞門(らく きちざえもん)は、千家十職の一つ、楽焼の茶碗を作る茶碗師の樂家が代々襲名している名称である。2010年現在、15代(1949年- 、1980年に襲名)が当主である。系譜については特にその初期について諸説があったが、今日では1955年に14代(覚入)が発表した統一見解が公式的に受け入れられている。以下もそれに従う。 3代・道入以降の各当主には隠居した時に「入」の字を含む入道号という名前が贈られており、後世にはその名前で呼ばれる事が多い。なお、道入・得入・惺入・覚入は没後に贈られている。 == 歴史 == 樂家初代の長次郎(ちょうじろう)は、楽焼の創設者である中国出身の父・あめや(阿米也、飴屋または飴也)と母・比丘尼の間に生まれ、樂家の代名詞ともなる黒釉をかけた茶碗の作製において非常に優れた技量を見せた。 没後、長次郎の妻の祖父・田中宗慶が豊臣秀吉から聚楽第の一字を取った「樂」の黄金の印を与えられた。これが樂家の始まりである。宗慶は千利休と同じ田中姓を持ち、利休にかなり近い存在であったと考えられている。 宗慶とその長男・宗味(長次郎の義父)は樂家の制作活動に深く関わっていたが、前政権の秀吉と親しかったことを慮り、宗慶の次男・常慶(じょうけい)が樂家の2代となった。その後、常慶は初めて吉左衛門を名乗る。本阿弥光悦のとりなしもあって江戸幕府との関係は良好で、芝・増上寺の徳川秀忠の墓には常慶作の香炉が埋葬されていた。 3代を継いだのは常慶の長男・道入(どうにゅう)である。道入は別名(俗称)・のんこう、またはノンカウとも言われる楽焼の名人で、樂家の釉薬の技法を完成させたとまで言われている。また長次郎以外では唯一吉左衛門を名乗らず、吉兵衛と名乗った。 以後、歴代の当主が様々な作品を作り、今日の15代に至っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樂吉左衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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