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榊原 光裕(さかきばら みつひろ、1957年 - )は、宮城県仙台市出身のピアニスト・作曲家・編曲家である。仙台市在住。 「定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台」の創始者の1人であり〔【特報 追う】“情熱”が育んだジャズフェス 行政・企業に頼らず18年 (産経新聞 2008年9月11日)〕、すずめ踊りの現代化に尽力するなど、「楽都仙台」の立役者の1人である。また、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙台駅の東北新幹線および在来線の発車メロディを作曲したことでも知られる。1996年(平成8年)「宮城県芸術選奨新人賞」受賞。 ピアニストとしても活動し、さとう宗幸や稲垣潤一など歌謡曲の歌手の伴奏や、ジャズ・ユニット「ハッピー・トコ」での演奏活動を行っている。 == 「楽都仙台」への寄与 == 榊原は「楽都仙台」に影響を与えた人物の一人である。著名な仕事としては以下のようなものがある。 1987年(昭和62年)、榊原はすずめ踊りを現代風にアレンジして『新・仙台すずめ踊り』を創作した。当初、この『新・仙台すずめ踊り』は仙台・青葉まつりの出し物の1つであったが、多数の市民が愛好するようになって仙台・青葉まつり以外でも踊られるようになり、仙台を代表する踊りとなった。 1991年(平成3年)、榊原の「本来音楽は野外でやるもの」という考えに基づき、定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台が初開催された。同フェスは、「市民ボランティアが中心となって運営」「街が舞台装置」「無料」をキーワードとした都市音楽イベントで、その後、日本各地に同種の音楽祭を数多く生んだ。2011年(平成23年)、第21回目となった同フェスティバルにおいて、榊原は実行委員長を務めた。同年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で開催が危ぶまれたが例年通り開催され、開催両日とも震災発生時刻と同じ14:46に市内全45ステージで全演奏者が、鎮魂の意味を込めて一斉にA音を発し、多くの市民の思いを一つにするものとなった〔復旧・復興への歩み -皆さまの支援を力に、復興を加速- (平成23年9月) (仙台市 2011年10月18日)〕〔Sendai's jazz festival keeps the beat (ジャパンタイムズ 2011年8月26日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榊原光裕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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