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榊原 照久(さかきばら てるひさ)は、江戸時代前期の武将にして神職。榊原清政の三男。榊原康政の甥。 == 生涯 == 江戸時代初期に活躍した徳川氏の家臣。父清政とともに徳川家康に近侍し、慶長5年(1600年)、はじめて家康に御目見し、以降側近くで仕える。慶長12年(1607年)5月、父清政の死去に際し、駿河国久能山の城番を継承し、のち同国有渡郡の地に石高1800石を賜った。大坂の陣に際しては参戦を願うも、久能山は要所の地であることから家康の厳命により、久能山に留まる。元和2年(1616年)4月17日、家康薨去の際、幕命により祭祀を執行。以後、祭主として久能山に留まり霊廟の神事を斎行。元和3年(1617年)8月28日、夢枕に家康のお告げを受け、諱を照久に改める。元和4年(1618年)5月13日、従五位下大内記に叙任。同年6月24日、従四位下に昇叙。大内記如元。元和8年(1622年)6月20日、異例のことにて従二位に昇叙。上洛し、同年8月12日、昇殿を聴される。正保3年(1646年)8月7日薨去。久能山の地に一寺を建立し、照久寺と称し同寺に埋葬された。因みに照久寺は昭和60年(1985年)に宝台院と合併し、翌年、宝台院別院〔〕として静岡市駿河区安居に存す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榊原照久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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