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榊田八重子(さかきだ やえこ -2004年5月28日〔榊田八重子さん死去 元全日本なぎなた連盟事務局長 2004/05/29 15:44 共同通信〕)は薙刀の範士。熊本県出身〔。 ==人物== 16歳で父から薙刀の手ほどきを受け〔『淡交』16巻9号、pp.104-109〕、 武道専門学校で美田村千代から天道流を学び、卒業後は地方で薙刀の普及に従事する〔アレキサンダー・ベネット「第3章 なぎなたの歴史とその精神」『武道論集』第1集 増補版 (2013年9月) pp89-93〕。21歳で和歌山県立高等女学校で薙刀を教え、勤務先は大阪府立堺高女に替わりなどしながら文部省から薙刀の教材作成を依頼されたりしている。榊田に転機が訪れたのは日本の敗戦である。敗戦によって学校教育の薙刀は禁止されるであろうと考えた榊田は1948年(昭和23年)に40歳近い年齢にもかかわらず京都府警に警察官として就職する。榊田の姉妹4人はいずれも婦人警察官になっている。京都府警警察署勤務で稽古時間が限られる中、榊田は薙刀の全日本選手権で連覇を果たしている〔。第二次世界大戦後、連合国占領下の日本での武道禁止令が解除され始めた1950年頃から、薙刀復活の活動に加わり、1954年徳永千代子らと共に「学校薙刀指導者研究協議会」を立ち上げた〔。著書『新しいなぎなた : 指導の手引き』(1960)は標準的な教科書として使われた〔。 日本武道協議会第2回武道功労者〔日本武道協議会武道功労者表彰一覧 〕。戦後の薙刀の基礎を作り〔福田 啓子 奈良女子高等師範学校における薙刀教育─薙刀教師および指導内容の変遷に注目して─ 体育学研究Vol. 54 (2009) No. 1 P 123-135 〕、全日本なぎなた連盟事務局長を務めた〔。1987年薙刀の全日本選手権で優勝した榊田恭子は養女。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榊田八重子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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