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榎倉康二(えのくら こうじ、1942年 – 1995年)は東京都生まれの日本人画家でインスタレーション・アーティストである。 彼は1960年代から1970年代にかけて台頭した「もの派」の一員であった。もの派の作家たちは、石、鉄板、ガラス、電球、綿、スポンジ、紙、木、鉄線、ワイヤー、ロープ、革、油、水といった、「もの」自身を主題にするとともに、諸要素と空間の相互依存に焦点をあてた作品を制作した。また、自然的な物質と工業的な物質の出会いを探求し、それらを一過性の静止状態に配置することによって作品とした。〔岡田潔『1970年−物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち』読売新聞社、美術館連絡協議会、1995、54頁〕 ==来歴== 東京で生まれ、1966年に東京藝術大学美術学部油画科を卒業、1968年に同大学美術研究科で修士号を取得し、1975年から1995年に死去するまで同大学で教員を務めた。 榎倉は1970年代初頭から、紙、布、フェルト、革に油を染み込ませる手法で作品を制作する。時にギャラリーや野外スペースで壁や床を変色させるということも行っていた。当時のインスタレーションは現存しないものの、写真による展示作品の記録が残されている。 1970年には、、ヤニス・クネリス、、ブルース・ナウマンといった世界的に有名なアーティストらが出品する「第10回日本国際美術展 Tokyo biennale ‘70〈人間と物質 between man and matter〉」に、高松次郎、小清水漸とともに参加。油を染み込ませた藁半紙を、高さを変えて床に敷きつめた《場》(1970年) を出品した。〔熊谷伊佐子「榎倉康二」『榎倉康二展カタログ』東京都現代美術館、2005年、23-25頁〕 さらに、最も有名な作品の一つが《無題》(1970年) である。革でできた三角錐を部屋の角に置いたこの作品を通して、榎倉は隣接する壁との関係性を強調している。 1971年の「第7回パリ青年ビエンナーレ」に出品した《壁》という、パリの の2本の木の間に、高さ3m、幅5mのコンクリート壁を築いた作品もまた、同じテーマを用いた榎倉の代表作 である。 この際に受け取った優秀賞の奨学金で、榎倉は 1973 年から1974年までパリに滞在することとなる。 これらの作品群は、榎倉の世界の中に自分の居場所を確認する試みであった。彼はこう語っている。 「肉体と物との緊張感こそ私が探りたい事であり、そしてこの緊張感が自分自身の存在を自覚し得る証しだと思う」〔岡田潔『1970年−物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち』読売新聞社、美術館連絡協議会、1995、54頁より引用〕 1973年までに、榎倉康二、菅木志雄、李禹煥、関根伸夫、そして、小清水漸、吉田克朗といった作家達は「もの派」と呼ばれるようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榎倉康二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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