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榎本 亜弥子(えのもと あやこ、1985年4月29日 - )は、東京都出身のファッションモデル・女優。 女子小中学生向けファッション誌『ニコラ』において、新垣結衣以前に最も人気の高かったモデル。公式のニックネームは「アヤコc(ちゃん)」で、誌上ではこの愛称がフルネームの代わりに名前として使われていることも多い。新垣は、オーディション時に榎本と大寺祐恵に初めて会い、感激したという〔『ニコラ』2002年8月号・ズームアップNEOより〕。また、新垣の愛称「ガッキー」(ニコモ当時は「ガッキーちゃん」とも)の名付け親としても知られている〔『ニコラ』2002年1月号・撮影日記より〕。 ==概説== 1999年に『ニコラ』の第2回読者モデルオーディションに応募。4238名の応募〔Girl's Station Guest Profile 篠原さや 〕のなかグランプリを獲得し、以後モデルプロダクションに所属して同誌のモデル(ニコモ)として活動。親しみやすい容姿などで圧倒的な人気を得て、小中学生向けの雑誌・玩具CM・イベントなどを中心に多くの媒体に登場した。榎本亜弥子と谷口紗耶香、前田綾花の3人は、この種の雑誌モデルが小中学生のアイドルと化するきっかけをつくった存在とされる。 ニコラでは2002年まで活動し、このうち表紙を飾ったのは2000年5月号・12月号、2001年5月号・6月号・7月号・8月号・11月号、2002年1月号の合計8回。これは当時の最多記録であり、次点の谷口紗耶香でも6回にとどまっている。なお、約2年後の2003年9月号で新垣が9回目の登場を果たしたことによりこの記録は破られ、また2004年4月号では虎南有香が、2005年10月号では岡本玲が、2006年1月号では丹羽未来帆が同様に9回目となるなど、近年では人気のあるモデルを表紙に連続起用する傾向が強い。 このほか、大手ジュニア向け服飾メーカーナルミヤ・インターナショナルの主力ファッションブランド「ANGELBLUE」のイメージキャラクターとして蒼井優・佐藤麻奈と共に活動し、当時アパレル業界の注目を集めつつあったジュニアファッション市場の象徴的存在になった。また、下着ブランドのワコールジュニアには幾度かの誌上広告を経て2002年度にイメージガールとして契約している。 2002年3月28日、『ニコラ』東京開放日イベントにおいてニコモ卒業式が行われ、同世代の蒼井優・長屋光紗・篠原沙弥とともに同誌専属モデルを卒業した。以後はファッションモデルとしての活動を縮小し、かわりに本人の夢であった女優を目指して映画などへの出演にシフトすることになった。また、森永乳業が「森永アロエヨーグルト」の販促用に製作したネットムービー『初めての秘密』では、田中麗奈の妹役を演じている。 所属プロダクションはブレンデン(当初はフラーム、フロスのFLOS GIRLS DIVISION)だったが、本人と事務所の思惑・見解の相違により2004年12月31日をもって契約を終了した。ブレンデンは、詳しい理由を明らかにせず公式BBSを閉じてしまったため、今後の活動についても不明のままとなっていたが、2007年に元ニコモ仲間で親友の望月みさ(旧・長屋光紗)の公式ブログにおいて、芸能界を引退して別の仕事に就いているという近況が紹介された〔望月みさ公式ブログの2007年5月3日付記事 より〕。なお具体的なことには触れられず、「今しか出来ないステキな仕事」で「沖縄から海外に転勤」という点のみが明かされていたが、後に本人がブログにコメントしたところによれば、2007年6月末時点ではモルディブに居留しているという〔望月みさ公式ブログの2007年6月27日付記事 より〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榎本亜弥子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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