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榎本 喜八(えのもと きはち、1936年12月5日 - 2012年3月14日)は、東京都中野区出身のプロ野球選手(一塁手)。 現役時代はオリオンズの中心選手として長きにわたって活躍した。「安打製造機」の異名を最初に取った選手である〔ツーシームみたいに『週刊ベースボール』2011年9月12日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-9/12, 73頁。〕〔榎本以降は、張本勲やイチローなどがそう呼ばれている。〕。1000本安打・2000本安打の最年少記録を保持し、数々の高卒新人記録も持つ。 ==経歴== ===生い立ち=== 1936年、農家の家庭に生まれる。祖父は新八、父は八雄、弟は省八、先祖は八十八、八佐衛門など、榎本家には男の子には全て「八」の字を付ける習慣があり、喜八という名前が付けられた〔ただし喜八は自分の2人の息子には「八」の字を付けていない。「幸福と八は関係ないだろうと思ったから」だという(松井浩著『打撃の神髄 榎本喜八伝』)。〕。 1941年、5歳の時に太平洋戦争が勃発。集団疎開に出発する日、33歳の母親が病死する。戦争に出征した父親は、終戦後もシベリア抑留され、しばらく帰ってこなかった。そのため、祖母と幼い弟と3人暮らしをしていた幼少時代の榎本は、極貧に苦しむこととなる。雨漏りを放っておくと屋根に穴が開き、寝室には雨が降ってきたという。畳には茸が生え、家の中で傘を差して立ったまま朝を迎えた日もあった。電車に乗ることもできず、当時は近所を走る西武電車に乗ることに憧れていたという。 戦時下の1943年3月、近所の友人の姉に連れられて職業野球を後楽園球場へ観戦に行った事が、野球を始めたきっかけとなった。その際に球場の美しさと巨人の呉昌征・青田昇や大和軍の苅田久徳のプレーに強い印象を受けたという。空腹と極寒の日々の中で、職業野球は榎本の唯一の希望となり、その後、「おばあちゃんを温かい家に住まわせてやりたい」という強い意志から、プロ野球選手を目指すようになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榎本喜八」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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