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榎本藩(えのもとはん)は、下野国都賀郡榎本(現在の栃木県栃木市大平町榎本)に存在した藩。居城は榎本城。 == 藩史 == 榎本城は元は戦国時代の小山高朝の隠居城であり、後にその実子である結城晴朝が領有していた。 結城氏移封後の慶長10年(1605年)、本多正信の3男で正純の弟に当たる忠純が同城に1万石で入ることで榎本藩が立藩された。大坂の陣で戦功を挙げた忠純は、1万8000石を加増され、2万8000石の大名となった。父や兄のように忠純は目立った人物ではなかったが、戦国時代の小山家の旧臣を家臣団として新たに組み込んだり、城下町の整備を行なったりと、藩政の基盤固めに専念した。寛永8年(1631年)12月13日、忠純は46歳で死去し、後を養嗣子の政遂(加賀藩家老本多政重の子)が継いだ。政遂は寛永15年(1638年)7月29日、26歳の若さで早世する。跡を子の犬千代が継いだが、犬千代は寛永17年(1640年)5月13日に5歳で夭折した。当然、嗣子がいるはずもなく、本多氏は無嗣断絶で改易となり、榎本藩も廃藩となった。 なお、この忠純系の名跡は、政遂の弟の政朝が旗本(5000石)に取り立てられ、本多大隈守家として続いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榎本藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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