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榎 美沙子(えのき みさこ 1945年1月23日 - ?)は日本の女性解放運動家・薬剤師・薬事評論家。生化学会会員・内分泌学会会員。婦人性教育協会準備会理事。なお「榎美沙子」はペンネーム。結婚時の本名は木内公子(きうち きみこ)である。旧姓は非公表。 == 経歴 == *徳島県出身。京都大学薬学部卒業。在学中に薬学部の同級生と学生結婚。1967年、日本テレビアナウンサー村上節子(のち田原総一朗夫人)・朝日新聞記者松井やよりらマスコミ関係者によるウーマン・リブ団体「ウルフの会」の結成に参加し活動。1972年6月14日、中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(略称中ピ連)を結成し代表となる。高田馬場に本部事務所を構え、ピンク色のヘルメットをかぶっての街頭宣伝・デモ活動を行う。不倫している男性の下に集団で押しかけて吊るし上げる戦闘的な運動スタイルや、マスメディアへの積極的な露出で注目を集める。 *ただ当時の経口避妊薬は副作用が大きく、それ自体が女性の体に悪影響を与え、かつ性病の蔓延を助長するという理由からあまり用いられなくなった。このため運動は下火になり、1975年に中ピ連は解散した。 *1977年、第11回参議院議員通常選挙に際し、中ピ連を母体として日本女性党を結成し国政進出を図るも失敗。開票日からわずか2日後の同年7月12日、同党は解散。美沙子は派手な衣服を身にまとい独特の選挙運動を行ったが、自身は選挙に立候補せず、「代表者が国民の審判を受けないのはおかしい」と選挙期間中からその態度に疑問の声が上がった。とりわけこの選挙に立候補し落選した俵萌子(東京都選挙区から革新自由連合公認で立候補し落選)や吉武輝子(全国区に無所属で立候補し落選)ら別の女性解放運動家からは「なぜあなたは国民の審判を受けなかったのか」「あなたのせいで日本の女性解放運動は大きな誤解を受けた。嘲笑の的になった」「男性を排除しようというあなた方の主張は間違っている。日本女性党のおかしな運動のせいで私達の主張が有権者に伝わらなかったことが残念」と厳しく批判された。またピル解放によって利益を得る製薬会社や政治家との関係が暴かれたとされるスキャンダルも取り沙汰され、城戸嘉世子ら日本女性党の同志の信望も失い、党は瓦解。以後活動もできなくなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榎美沙子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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