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槙原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - )は、日本の実業家。東京府(現・東京都)出身(出生地はイギリス)。三菱商事の社長・会長を歴任し〔「特集 三菱最強伝説 独占インタビュー “天皇”が初めて語った使命 三菱は再び結束せよ」、『週刊ダイヤモンド』2016年1月30日号、36-37頁。〕、2016年現在三菱商事特別顧問〔、東洋文庫理事長〔名簿 - 公益財団法人 東洋文庫 〕。父・覚(さとる)は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長を務めた。 == 略歴 == * 1930年1月12日:三菱商事ロンドン支店に勤める父覚、母治子の長男として、英国の首都・ロンドン北西部のハムステッドに生まれ、幼少期を同国で過ごした。 * 1937年:日本へ帰国。 * 1942年:米潜水艦による大洋丸撃沈事件で、父・覚が死去。母とともに岩崎彦弥太(弥太郎の嫡孫、久弥の長男、三菱本社副社長)の国分寺の別邸(現・殿ヶ谷戸庭園)に身を寄せた。 * 1949年:旧制成蹊高等学校を経て、聖公会の司教の誘いで米国に渡り、ニューハンプシャー州のセント・ポール・スクールに転入。 * 1950年:ハーバード大学に入学。 * 1954年:ハーバード大学政治学部を卒業〔『日本紳士録』、ま 29頁。〕、その後1年余り同大学の奨学金で欧州・南米を遊学。 * 1956年3月:三菱商事に入社〔。 * 1971年:三菱商事ワシントン事務所・初代所長に就任。 * 1980年:水産部長に抜擢された。 * 1986年:取締役・米国三菱商事副社長に就任〔。 * 1987年:米国三菱商事社長に就任。 * 1988年:三菱商事常務に就任〔。 * 1990年:三菱商事専務及び米国三菱商事会長に就任〔。 * 1992年2月:当時の社長・諸橋晋六から後任社長に指名された。 * 1992年6月:三菱商事社長に就任〔〔。 * 1994年:同じ三菱グループである麒麟麦酒の総会屋への利益供与事件をきっかけに「特殊株主」との関係見直しを指示。 * 1995年:社内資本金制度を導入。 * 1998年:社長を退任、会長に就任〔〔。 * 1999年:三菱金曜会の世話人代表となった〔。 * 2005年11月:旭日大綬章を受章。 * 2007年:東洋文庫理事長に就任。 * 2009年9月:日本経済新聞「私の履歴書」に登場。 * 2010年6月:三菱商事特別顧問に就任〔。 * 「国連改革に関する有識者懇談会」メンバー。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「槙原稔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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