翻訳と辞書
Words near each other
・ 樇
・ 樈
・ 樉
・ 樊
・ 樊カイ
・ 樊噲
・ 樊城
・ 樊城の戦い
・ 樊城区
・ 樊子鵠
樊宏
・ 樊少皇
・ 樊崇
・ 樊建
・ 樊建欣
・ 樊振東
・ 樊於期
・ 樊毅
・ 樊氏
・ 樊深


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

樊宏 : ウィキペディア日本語版
樊宏[はん こう]

樊 宏(はん こう、? - 51年)は、中国代から後漢時代初期にかけての政治家。字は靡卿荊州南陽郡湖陽県の人。父は樊重。弟に樊丹、姉妹に樊嫺都(劉欽の妻)、子に樊儵、樊鮪、樊茂、甥(兄の子)に樊尋がいる。光武帝(劉秀)、劉縯らの舅(母方のおじ)にあたり、また劉賜の義弟(劉賜の妹が樊宏の妻)にあたる。
== 事跡 ==

=== 初期の事跡 ===

後漢草創期の功臣の1人。樊氏はの仲山甫(周の宣王に仕えた政治家)の子孫とされ、湖陽では名家であった。樊宏の父樊重は農事に勤しみ、貨殖を好んだが、一方で地元の名士として郷土に様々な恩徳を施している。
新の統治の末年に、舂陵軍を率いて挙兵した劉縯とその族兄劉賜は、湖陽を攻撃したが、なかなか攻め落とせなかった。当時湖陽城内に在った樊宏が劉縯・劉賜と姻戚関係にあったため、湖陽の守備軍は、樊宏の妻子を牢に繋いだうえで、城外へ派遣して劉縯らを説得させるよう命じた。しかし樊宏は、劉縯の下に留まって帰還しようとせず、湖陽の守備軍は樊宏の妻子を処刑しようとする。湖陽の長吏以下がこれを諫止し、その後、劉縯らの軍が急速に勢力を伸ばしたため、湖陽の守備軍は滅ぼされることを恐れて、樊宏の妻子を処刑しなかった。
更始1年(23年)、劉玄更始帝として即位すると、樊宏は将軍に任命されそうになるが、樊宏は「書生は兵事を習得しておりません」と述べて辞退し、故郷へ帰って宗族と共に自衛のための陣営を築いた。なお、故郷に帰る前のことと思われるが、樊宏は、繍衣御史申屠建が更始帝に劉縯を誅殺するよう促す場面を目撃し、劉縯に警戒するよう進言したが、容れられなかった。
その後、赤眉軍が唐子郷を攻撃し、略奪・殺戮を繰り広げた。赤眉軍が湖陽の樊宏の陣営に接近すると、樊宏は、使者を赤眉軍に派遣し、牛・酒・米穀を献上して慰労する。赤眉の長老(指導者)たちは、樊宏が仁義に厚い性格で名声が高いことを聞き、兵を引き上げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「樊宏」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.