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樋口喜吉 : ミニ英和和英辞書
樋口喜吉[ひぐち きよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とい, ひ]
 【名詞】 1. water pipe 2. gutter 3. chute 4. trough
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 

樋口喜吉 : ウィキペディア日本語版
樋口喜吉[ひぐち きよし]
樋口 喜吉(ひぐち きよし、1865年5月9日慶応元年4月15日) - 1934年昭和9年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将予備役編入後、光学関係の研究に従事し、特許権実用新案権を取得した。
==生涯==
;略歴
幕末若松城郭内に生まれる。戊辰戦争後に再建された日新館助教となり、陸軍教導団を経て陸軍士官学校入校。1889年明治22年)に卒業した(旧11期)。同期生に奈良武次石光真清がいる。陸軍歩兵少尉に任官し、歩兵第16連隊付となる。
日清戦争に出征後、歩兵第30連隊大尉1899年(明治32年)陸軍大学校に入校。樋口は陸士5期から7期を主体とした後輩たちと共に学び、1902年(明治35年)に卒業(16期)。歩兵第5連隊付となり日露戦争開戦を迎え、同連隊第3大隊長として出征した。第5連隊は第8師団に属し、黒溝台会戦に参戦。戦後功三級に叙せられた〔『稚松会会報第19号』死亡会員略伝〕。
その後は歩兵第23連隊長、第11師団参謀長を経て、1915年大正4年)3月、少将へ昇進し予備役編入となった。同郷の後進育成組織・稚松会の初代副会長を務めている。
;黒溝台会戦
1905年(明治38年)1月25日、第3大隊は種田支隊の救援に赴き、ロシア軍に奪取されていた頭泡を奪還〔『感状 歩兵第5連隊第3大隊』(小島p.286)〕。1月28日には左翼隊として歩兵第31連隊と共同で五家子の守備にあたり、ロシア軍に300メートルまで接近されたが撃退に成功している〔児島pp.261-262〕。第3大隊にたいしては師団長・立見尚文から感状が授与された。
;特許
* 測距望遠鏡 1916年9月
* 集光鏡 1918年6月
* 顕微鏡同軸式微動装置 1920年4月
* プリズム眼鏡 1920年11月
* 縦横四線式微動装置 1922年12月
* 内空ノ翼車ト船端ノ導壁トニ依ル船舶推進装置 1927年
;実用新案
* 顕微鏡微動装置 1918年2月
* 顕微鏡簡保持器 1918年2月
* 顕微鏡輝照装置 1922年2月

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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