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樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任し、最終役職は第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。 == 経歴 == 兵庫県三原郡本庄村上本庄(町村制後:阿万村、現:南あわじ市阿万上町字戈の鼻)に父・奥濱久八、母・まつの5人兄弟(諸説あり9人とも言われている)の長男として出生。奥濱家は廻船問屋で代々続く地主であったが、明治以降、蒸気船の普及に伴い時代の流れに取り残され父・久八の代で没落した。11歳の時、両親が離婚し、母・まつの阿萬家に引き取られる。 三原高等小学校、私立尋常中学鳳鳴義塾を経て、18歳で岐阜県大垣市歩行町の樋口家の養子(父・久八の弟・勇次が樋口家の婿養子となり季一郎を勇次夫妻の養子として迎え入れた)になった。大阪陸軍地方幼年学校、陸軍士官学校(21期)に進み優秀な成績で卒業、陸軍大学校(30期)を経て、高級軍人となってからは主に満州、ロシア方面部署を転々と勤務駐在武官としてポーランドにも赴任している。歩兵第41連隊連隊長時代に起きた相沢事件は、直前まで部下だった者が起こした不祥事であったため進退伺いを出した。しかし、上官の小磯国昭に遺留され、ハルビンに赴任する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樋口季一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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