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樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1月25日 - 2012年(平成24年)9月16日)は日本の実業家。アサヒビール中興の祖。 == 来歴・人物 == 京都市出身〔樋口廣太郎の「感謝」の仕事学 (紀伊國屋書店 BookWeb)〕。京都市立第二商業学校(廃校)、彦根経済専門学校を経て、京都大学経済学部卒業後、住友銀行に入行。副頭取まで昇進した〔。1986年(昭和61年)、アサヒビール(現:アサヒグループホールディングス)の社長に就任〔。1987年(昭和62年)、アサヒスーパードライを発売して大ヒットさせる。1995年(平成7年)から経団連の副会長も務め、1998年(平成10年)には当時の小渕恵三内閣総理大臣に請われて首相の諮問機関・経済戦略会議の議長に就任。敬虔なカトリック信徒としても有名であり、大学時代は同じ大学にいた本島等(元長崎市長)と仲が良かった。 ほかに、日本アメリカンフットボール協会コミッショナー、日本スペイン協会会長、東京都現代美術館館長、日本ナスダック協会会長、防災情報機構議長などの要職も歴任。 アサヒビールの社長に就任後、ロゴマークの変更に際し、社内の反対を押し切って売れ残っていた古いビールを全て店頭から回収・廃棄したことが結果的にアサヒ再興につながった話は有名である(外部リンク参照)。 副頭取だった樋口が磯田一郎頭取にイトマンへの乱脈融資を諫めた時、「邪魔立てするな」と一蹴され〔「樋口廣太郎 我が経営と人生」〕、部屋を出ようとする樋口に磯田がガラスの灰皿を投げつけたという。これが原因になってアサヒビールに転出したという〔日本経済新聞 森一夫特別編集委員 平成24年8月11日 夕刊文化〕。 2012年(平成24年)9月16日に、急性心不全のため東京都渋谷区内の病院で死去した〔アサヒビール元社長の樋口広太郎氏死去(時事ドットコム) 〕。。 同年10月12日、政府は樋口を従三位に叙し、旭日大綬章を与えることで閣議決定した〔2012年10月13日付読売新聞朝刊東京版38ページ〕。没日付をもって追贈。 2016年1月、第3回日本アメリカンフットボール殿堂入りが決まる〔日本アメリカンフットボールの殿堂 新たに11名が殿堂入り 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樋口廣太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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