|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 樋 : [とい, ひ] 【名詞】 1. water pipe 2. gutter 3. chute 4. trough ・ 口 : [くち] 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening ・ 一 : [いち] 1. (num) one
樋口 雅一(ひぐち まさかず、1946年11月18日 - )は、山梨県都留市出身のアニメーター・アニメーション演出家・アニメーション監督・漫画家である。 == 来歴 == 高校を卒業後、竜の子プロダクション(タツノコプロ)に入社。しかしすぐに退社し、虫プロダクションに移った。両社では数々の作品に、アニメーターとして関わっている。 1969年よりフリーランスとなり、この頃から演出家としての活動も開始。『ムーミン(新)』や『昆虫物語 新みなしごハッチ』などの演出を経て、グループ・タック在籍時の1977年、『まんが偉人物語』で初めてチーフディレクターを務めた。 1979年、『まんがこども文庫』のプロデューサーだった鬼丸一平を代表に、演出家の矢沢則夫・森田浩光・辻伸一、美術の内田好之・阿部幸次・下道一範と共に7人で「メルヘン社」の設立に関わる。〔『萬雅堂』便り 2006-08-21 ついでだから〕 1980年の『森の陽気な小人たちベルフィーとリルビット』以降はフリーに戻り、『アニメ親子劇場』をはじめとした『聖書シリーズ』を手掛けてからは、「聖書の漫画化」「グリム童話の漫画化」を依頼されて、後に漫画家へとシフトしていく。 そこに至るまでの20年ほどはフリーランスを軸にC&Dディストリビューション(旧DIC)と個人専属契約を結びながら、『ホワッツマイケル』(C&Dが初めて国内アニメを受注した作品)『パラソルヘンべえ』(シナリオも狭山太郎名義で担当)で総監督を務めた。『ゴールFH』には当初監督として参加したが、 岡嶋国敏に交替して、自身は各話演出・コンテ担当に戻っている。 現在はアニメーション業界とは距離を置き、漫画家として活躍中である。 2012年には『まんが日本昔ばなし』の流れを汲み、グループ・タックOBも制作に多数関わる『ふるさと再生 日本の昔ばなし』でコンテ担当・各話演出として参加し、久方ぶりにアニメ制作に復帰している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樋口雅一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|