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安鎮坂(あんちんざか、安珍坂)は、東京都港区と新宿区の境界になっている赤坂御用地の北側に沿った都道にある坂道である。多くの別名があり、「ごんたざか(権太坂、権田坂)〔〔」、「ごんたわらざか(権田原坂、権太原坂)〔〔」、「しなのざか(信濃坂)〔〔」などとも呼ばれる。 ==概要== 港区赤坂青山権田原町明治記念館と赤坂御所(青山御所)との間を鮫が橋に下る坂である〔「安珍坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行〕。 坂上は権田原(ごんだわら)交差点で外苑東通りと交差する。坂の左手には明治記念館が、右手には赤坂御用地で東宮御所がある。北東方向に下ってゆくと左手に東京都神社庁やみなみもと町公園があり鮫河橋坂(さめかわはしざか)につながる。坂下の南元町公園辺りは低い湿地で、かつては沼から鮫川が東南の赤坂溜池に流れていた。湿地は江戸時代に外堀工事の残土で埋め立てられ、町屋となった。 安鎮坂の名は、かつて坂の前にあった安藤左兵ヱの屋敷内に安鎮大権現の社があったことに由来し、後に安珍坂と書くようになったものである〔。別名の権田原坂は付近に屋敷のあった権田氏、あるいは権田原僧都の碑にちなむなど諸説ある。この地は昔、幕府の代官・権田隼人なる者の屋敷地だったとも、あるいは権田丈之助、権田小三郎とその組下の組屋敷だったともいわれる〔「権田原坂」 石川悌二 『江戸東京坂道辞典コンパクト版』(新人物往来社) 平成15年9月20日発行〕。 坂の両側は栃ノ木の並木になっている。また、赤坂御用地の樹木などもあり都心では希な緑の多い静かなたたずまいである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安鎮坂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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