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権藤 成卿(ごんどう せいきょう(せいけい)、1868年4月13日(慶応4年3月21日) - 1937年(昭和12年)7月9日)は、日本の農本主義思想家、制度学者。本名は善太郎。号は成卿、間々道人,間々子など〔世界大百科事典 第2版〕。明治政府の絶対国家主義や官治主義(官僚制)〔井田p.410〕,資本主義,都会主義を批判し、農村を基盤とした古代中国の社稷型封建制を理想として共済共存の共同体としての「社稷国家」の実現と農民・人民の自治および、東洋固有の「原始自治」(「自然而治」〔)を唱えた〔〔。 ==略歴== === 家系・家学 === 権藤家は代々藩医で、曾祖父は権藤寿達、祖父は権藤延陵であった〔。祖父の権藤延陵は日田の広瀬淡窓、筑後の笠大匡とともに筑後の三秀才とよばれ、儒者亀井南冥の門下生であり〔、天保13年(1842年)に華岡青洲に医を学んだ〔『御井町誌』1986年、第一章三、高良山、厨家」〕。権藤延陵の門下生に高良山座主坊厨家を出自とする厨順夫がいる〔。 父の権藤直は勤皇党の領袖である池尻葛覃に学び、真木保臣・木村赤松が同窓であった〔。権藤直は品川弥二郎、高山彦九郎、平野国臣とも親交があり、高山彦九郎は権藤家の親族の家で自決している〔。 明治4年、大楽源太郎らによる明治政府転覆未遂事件の二卿事件(明四事件〔)が起こり、久留米勤皇党のメンバーも事件に参加した。計画は山県有朋ら政府に発覚し、大楽らは処刑され、久留米藩主有馬頼咸は謹慎を受け、東京の久留米藩邸は接収された。事件に関わった松村雄之進(1852年-1921年)は服役後、旧久留米藩士を率いて福島で開拓事業を行った(のち衆議院議員)〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus、講談社〕。 権藤家の家学は「東洋古制度学」であり、古代中国や日本の制度や律令、また有職故実を研究するものであった〔井田p.426-7〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「権藤成卿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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