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横井 宏考(よこい ひろたか、1978年6月8日 - )は、日本の男性元総合格闘家、元プロレスラー。北海道岩見沢市出身。 潜在能力の高さから「怪物くん」との異名を持っていた。 == 来歴 == 子供の頃から柔道を行っており、旭川竜谷高等学校、近畿大学に進学し全日本学生大会に近畿代表として出場するなどの成果を残している。近畿大学在学中の2000年8月には修斗の大会にも出場し、井上正也相手に勝利を収めている。 大学卒業後はリングスに入団。2001年8月11日の有明コロシアム興行での対リカルド・フィエート戦でプロデビュー。リングス所属中はDEEP、UFO LEGENDなどへも出場している。 2002年のリングス活動停止後は高阪剛率いる「チーム・アライアンス」の所属となる。2002年5月からZERO-ONEへ出場し主戦場とするようになった。 デビュー以来8連勝の実績を買われて2002年11月24日、PRIDE初参戦となるPRIDE.23でジェレル・ヴェネチアンと対戦、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2004年4月25日、10連勝で臨んだアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦であったが、スピニングチョークで一本負け。キャリア初黒星を喫した。 PRIDEではなかなか勝利が挙げられず、ヘビー級からミドル級に落とすなどの対応策を取るが、やはり伸び悩みを脱せないままであった。 2004年11月のZERO-ONE崩壊後は後継団体のZERO1-MAXに出場。2005年5月には正式に同団体所属となる。ただしチーム・アライアンスにも所属はし続けており、そちらが優先されるためZERO1-MAXへの出場は所属にもかかわらず少ない。ZERO1-MAXの繋がりで、ハッスルへも参戦していた。2005年にはZERO1-MAXに突如現れた松永光弘が(特に誰とという訳ではなかったが、ZERO1-MAXマットでの)金網デスマッチ戦を要求し、そのアピールとして若手を凶器で襲うシーンに耐えかねて、「俺がお前の要求する金網でも何でも受けてやらぁ」と宣言し対決したが、返り討ちに遭った。 2006年9月からは総合格闘技に専念しており、ZERO1-MAXには籍だけ残っている状態が続いていたが、2007年に入ってからはプロレス出場も再開。元来のパートナー佐藤耕平やフリー参戦の高山善廣と共に本体の抵抗勢力としてのスタンスを取っていた。 2007年3月17日、フィンランドで行われた総合格闘技大会「Fight Festival 21」でミッコ・ルッポネンに敗北し、総合格闘技およびプロレスから引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横井宏考」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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