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横山 安武(よこやま やすたけ、天保14年(1843年) - 明治3年7月26日(1870年8月22日))は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての薩摩藩士。初名は正太郎。 == 生涯 == 天保14年(1843年)、薩摩藩士・森有恕の四男として誕生。弟に森有礼がいる。 儒学者の横山安容の跡を継いで藩に出仕し、後に島津久光に側近として仕える。久光の子に藩外での遊学を勧め、佐賀(佐賀藩)や山口(長州藩)に同行するが、その際に奇兵隊の一部の隊士の脱隊騒動が発生し、安武は騒動を報告するため無断で鹿児島に帰国したため、久光に免職された。その後、田口文蔵の門人となる。 明治3年(1870年)7月、時弊10箇条を挙げた書を集議院門扉に公示し、津軽藩邸前で屠腹して果てた。その建言は、上に達することはなかった。 安武は、当時さかんに論じられていた征韓論に対しては「ただでさえ国内が疲弊しているときに、征韓などできるはずがない」という見解をもっており、その自決には征韓論に対する抗議の意味があった〔拳骨(2013)p.120〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横山安武」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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