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横山操 : ミニ英和和英辞書
横山操[よこやま みさお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みさお]
 【名詞】 1. chastity 2. fidelity 3. honour 4. honor 5. faith 

横山操 : ウィキペディア日本語版
横山操[よこやま みさお]

横山 操(よこやま みさお、男性、1920年大正9年)1月25日 - 1973年昭和48年)4月1日)は、新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身の日本画家多摩美術大学教授。
横山の作品は石灰などを画面に擦り付け、力強く轟くような漆黒と、そこからにじみ出てくるような鮮やかな色が特徴であるとされる。見た目には洋画に近い作風ともいえるが、日本画である。
== 年譜 ==

* 1920年 ‐ 新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)に町医者の私生児として生まれる。その後、横山家に養子に出される。名前の“操”とは出生と関係があるとする説もある。
* 1934年 ‐ 洋画家を志し上京し、洋画家の弟子となる。ポスターや看板描きなどで生活を立てながら洋画を学ぶ
* 1938年 ‐ 第25回光風会展に油彩画の『街裏』が入選するもその後、師の勧めにより日本画に転向する
* 1939年 ‐ 川端画学校日本画部の夜間部に入学する
* 1940年 ‐ 当時もっとも新表現に先取的存在であったとされる青龍社(川端龍子が中心的人物の会)の主催する第12会青龍展に『隅田河岸』が入選。しかし、その後徴兵・召集される。
* 1945年 ‐ シベリア抑留に遭う。カザフスタン辺りで石炭採掘の工員として強制労働をし、そのときの情景や想いなどが、後の横山の作風に影響されたとされており、『カザフスタンの女』等に当時の印象を色濃く残している
* 1950年 ‐ 復員し、帰国する。戦争で中断していた制作を再開する
* 1951年 ‐ 杉田基子と結婚する
* 1956年 ‐ 初の個展を銀座で開催する。『炎炎桜島』で青龍賞を受賞
* 1957年 ‐ 東京都台東区谷中の五重塔が無理心中の男女によって放火、炎上。消失後のその様子を描く(『塔』)
* 1960年 ‐ 自らの作品を焼却する。またこの頃から『赤富士』の連作が人々の人気を集め、一躍有名画家となる
* 1962年 ‐ 日本画の新たな表現を目指し、青龍社を脱退する
* 1963年 ‐ これまでとは違う新生横山としての第一回個展・越後風景展を開催する
* 1966年 ‐ 多摩美術大学日本画科の教授に就任し、多くの日本画家を育てる。
* 1971年 ‐ 酒の飲みすぎにより(大変な酒豪でもあった)脳卒中で倒れ右半身不随となる。回復後は左手で制作を続けた
* 1973年4月1日 ‐ 新作の制作途中に没(享年53)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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