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横山 智佐(よこやま ちさ、1969年12月20日 - )は、日本の声優、女優。横山智佐事務所「バンビーナ」所属。かつてアーツビジョンに所属していた。東京都墨田区出身。 == 来歴 == 高校生の頃に休日を利用して勝田声優学院に通っていた。しかし講師の勝田久から「発声の仕方がまるでダメ」と劣等生の烙印を押され、悔し涙を流したというエピソードがある。元々歯並びが良くなかったことが発声に悪影響を与えていたので、200万円出して歯列矯正をしたという。 1987年に17歳でOVA『ブラックマジック M-66』(ナラ・フェリス役)でデビュー。声優を志すきっかけになったのは、テレビで放映された映画『ルパン三世 カリオストロの城』を観て感激したことから(横山は「ルパン三世に会いたかった」と表現している)。エッセイ集のタイトルは『ルパンに会いたくて』としており、大塚康生、モンキーパンチのイラストが表紙を飾っており、同作品のヒロイン・クラリスのように窓から忍び込んでプロポーズされたい、とも書いている。2008年7月28日の「BSアニメ夜話SP 『とことん!ルパン三世』」にルパンファンの観覧客にまぎれて出演している。 1987年、高校3年に在学中から『週刊少年ジャンプ』で連載されていた読者コーナー「ジャンプ放送局」のアシスタントに抜擢され、同コーナー終了まで延べ8年間務め上げた。仕事に妥協を許さない局長さくまあきらの厳しい指導には、何度か泣かされたこともあったと自著のエッセイで述べている。ちさタローの愛称はこの頃からで、最初はちさ姫と呼ばれていたが「もっと親しみやすく」という理由でちさタローに改められた。初登場の時は黒縁メガネをかけていた(のちにコンタクトレンズを使用するようになったためそれに伴いメガネなしの描写に変更された)。 初期の作品には元気な少女役・鳥役で出演することが多かった〔横山智佐『わたしが愛したゲームキャラ』より。〕。また、『おぼっちゃまくん』の主演声優である神代知衣が産休の時は代役をつとめた。 1990年、テレビアニメ『NG騎士ラムネ&40』のヒロイン・ミルク役に出演。1992年に『レッドカンパニー』開発のPCエンジン用アドベンチャーゲーム『銀河お嬢様伝説ユナ』の主人公・神楽坂優奈を演じ、若手声優の一人として頭角を現し始める。 1996年に26歳でテレビゲーム『サクラ大戦』のヒロイン・真宮寺さくら役として出演。これを皮切りに、以降のシリーズ続編や派生作品などに出演し、人気を集めた。舞台公演『サクラ大戦 歌謡ショウ』では10年の間「真宮寺さくら役」として出演し、初演『愛ゆえに』ではおぼつかなかった殺陣は最終公演『新 愛ゆえに』で100手の殺陣をこなし、バック転、激しいダンスを踊りながら歌うまでに上達した。ミュージカルの世界に関心を持ったきっかけは、28歳の時、『ミュージカル サクラ大戦』(南青山少女歌劇団主演)のゲスト出演時であると、著作『わたしの愛したゲームキャラ』に書かれている。なお、『歌謡ショウ』に出演した役者陣とは10年の時間を共に過ごしたこともあり現在も親交がある。ちなみに実際のゲームの『サクラ大戦』は少し難しいとBS放送で『サクラ大戦』の映画を放送した際にゲストとして出演した番組で告白している。 声優のキャリアは豊富であり、様々な性格の少女を演じている。頻度は少ないが少年役の経験もあり、黄色いドラえもんの声を担当したことでも知られる。広井王子原作のゲーム作品の常連であり、前述の『サクラ大戦』『機動新撰組 萌えよ剣』と二度も主演したのは彼女のみである。音楽活動にも積極的であり、三ツ矢雄二総合プロデュースの下、鈴木真仁と音楽ユニット「Pink Rainbow」を組んでいる。 声優仲間では高橋美紀や冬馬由美と親交があり、『銀河お嬢様伝説ユナ』シリーズで共演したこともある。 2009年11月3日、自身の公式ブログで結婚を発表(届け出は11月1日)。夫はロックバンド“トライポリズム”でベース担当だったチャカ〔トライポリズムは2008年に結 成された美勇士率いるスリーピースバンド。 チャカは結成メンバーの1人だったが2011年に脱退。 〕で、11歳歳下。『サクラ大戦』のゲーム最終作発売時での雑誌インタビューでは「ゲームとは逆に自分自身は結婚願望が無い」と語っていた横山だったが、この日のブログでは「39歳と10ヶ月にして初めて戸籍をいじることができました」と、独特の言い回しで喜びを表現した。 2014年4月19日、第1子妊娠を発表。 2014年9月22日、長女を出産、同日ブログで公表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横山智佐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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