|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 横 : [よこ] 【名詞】 1. beside 2. side 3. width ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 由 : [よし] 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause
横山 由清(よこやま よしきよ、文政9年5月〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』234-236頁。〕(1826年) - 明治12年(1879年)12月2日〔)は、江戸時代・明治時代の国学者・歌人である。本姓は小野〔『明治過去帳』新訂初版、136頁。〕〔『江戸文人辞典』406頁。〕。従六位。通称は保三、号は月舎〔。 == 人物 == === 略歴 === 塚越敬明の子として江戸に生まれる〔。横山桂子の養子となって国学を本間遊清・伊能穎則に、和歌を義母や井上文雄に学ぶ〔。 始め和学講談所教授となる〔鈴木淳.『日本近世人名辞典』1103頁。〕が、明治2年(1869年)昌平学校史料編修に任ぜられる〔。また宇都宮義綱・瀬脇為好とともに〔大学中助教となる。また制度局御用掛語箋編輯として法律制度の整備に携わる〔。 明治3年9月18日(1870年10月12日)少史に任じられ従七位に〔、明治4年7月29日(1871年9月13日)左院に転じ権少史となり、同年12月12日(1872年1月21日)正七位となる〔〔。明治5年10月8日(1872年11月8日)左院五等議官に就任〔。 明治7年(1874年)10月10日には左院四等議官となり、明治8年(1875年)2月24日、従六位に進む〔。同年4月に元老院と改組されると、同年5月24日、少書記官となり〔、このころ黒川真頼らと『旧典類纂』田制篇などの書物の編著をしている〔。 明治10年(1877年)1月19日、元老院を依願免本官となるが、同年3月1日、元老院御用掛、同年8月20日、文部省兼勤、同年10月25日には元老院権少書記官に任じられた〔〔。晩年は東京大学で古代法制史を講じた〔。 明治12年(1879年)12月2日病死。墓は東京の谷中天王寺にある〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横山由清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|