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横浜市の歴史 : ミニ英和和英辞書
横浜市の歴史[よこはましのれきし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
: [はま]
 【名詞】 1. beach 2. seashore 
: [し]
  1. (n-suf) city 
歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 

横浜市の歴史 : ウィキペディア日本語版
横浜市の歴史[よこはましのれきし]

横浜市の歴史(よこはましのれきし)は、神奈川県横浜市の市域における歴史自治体史
== 概略 ==

=== 古代から平安時代まで ===
〔この節は、「横浜市のあゆみ 略年表」 (横浜市行政運営調整局法制課横浜市史資料室、2006年4月1日更新)を参照。〕
横浜市域は3万年前に陸化し、立川ロームの堆積が始まった。2万2000年前までには市内に人間が現れ、旭区の矢指谷遺跡、都筑区の北川貝塚など、およそ25ヶ所の後期旧石器時代の遺跡が発見されている。市域で発見された縄文時代の遺跡は、都筑区の花見山遺跡など、市内各所に残る。
中期までの弥生遺跡は少ない。中期後半以降は、都筑区の大塚・歳勝土遺跡など、方形周溝墓を伴う環濠集落が現れる。磯子区の三殿台遺跡は、縄文時代弥生時代古墳時代にわたる大規模な遺跡である。古墳の出現は、畿内に1世紀以上後れた4世紀の中期~後期とされる。この時期の遺跡としては、港北区の観音松古墳跡、青葉区の稲荷前古墳群などがある。
市域の地名に関する最古の記録は、『日本書紀』に見られる〔『日本書紀』 巻十八安閑天皇元年閏十二月の条。〕。安閑天皇元年(534年)、武蔵国の笠原直使主(かさはらのあたいのおみ)は大和朝廷と結び、上毛野君(かみつけぬのきみ)と組んだ小杵(おぎ)を破った。この結果、笠原直使主は大和朝廷から武蔵国造家であることを認知され、横渟(よこぬ)、橘花(たちばな。橘樹郡)、多氷(たひ)、倉樔(くらす。後に久良(くら)郡、さらに久良岐郡)の4ヶ所を屯倉として献上したと記される。
7世紀後半までに、市域には、武蔵国橘樹郡久良岐郡都筑郡相模国鎌倉郡が置かれた。橘樹郡は川崎市のほぼ全域と横浜市の北東部、久良岐郡は横浜市の中南東部、都筑郡は横浜市の北西部、相模国鎌倉郡は横浜市の南西部と鎌倉市をその領域とする。都筑区の長者原遺跡は8世紀に成立した都築郡衙跡とされ、郡庁舎・正倉の遺構などが発見されている。また、この遺跡は国道246号旧大山街道)に面しており、この道が古東海道であったと考えられている。なお、都筑郡の名が見える最古の記録は、『万葉集』である。万葉集には、都筑・橘樹の防人とその妻らの歌が収められている〔『万葉集』第二十巻。歌番号は4419~4422。いずれも詞書に天平勝宝7年(755年)2月29日に進呈とある。〕。
: 家ろには 葦火焚けども 住みよけを 筑紫に至りて 恋しけ思はも(橘樹郡上丁 物部真根)
: 草枕 旅の丸寝の 紐絶えば 我が手と付けろ これの針持し(椅部弟女)
: 我が行きの 息づくしかば 足柄の 峰延ほ雲を 見とと偲はね(都筑郡上丁 服部於由)
: 我が背なを 筑紫へ遣りて 愛しみ 帯は解かなな あやにかも寝も(妻 服部呰女)
927年延長5年)には、杉山神社が、式内社とされた。杉山神社は、全国でも横浜市と川崎市、特に鶴見川流域にのみ散在鎮座し、数十社が現存する。このうちどの杉山神社を当時の杉山神社と特定するか、定説はない。杉山神社の論社には、緑区西八朔町の杉山神社、都筑区茅ヶ崎町の杉山神社、都筑区中川町の杉山神社、港北区新吉田町の杉山神社、および鶴見区鶴見中央の鶴見神社などがある〔杉山神社に関する文献には、以下のものがある。『続日本後紀』の第7巻、承和5年(838年)2月庚戌の条には、「武藏國都筑郡枌山神社預之官幣。以靈驗也。」。同じく『続日本後紀』の第7巻、承和15年(848年、嘉祥元年)5月庚辰の条には、「奉授武藏國无位枌山名神從五位下。」。『延喜式神名帳』には、「都筑郡一座 小 杉山神社」。『神道集』には、「六宮ヲ椙山ノ大明神ト申ス。本地ハ大聖不動明王、是也。」。「枌」「椙」は、いずれも「杉」の異体字である。〕。
奈良時代以降は人口も増え生産力を高めた。平安時代には各所の開発も進み、三浦氏の一族平子氏榛谷氏稲毛氏など有力な豪族がいた。今に残る弘明寺などの寺院は、この有力豪族らにより建立されたものと考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「横浜市の歴史」の詳細全文を読む




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