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横浜市営トロリーバス : ミニ英和和英辞書
横浜市営トロリーバス[よこはましえいとろりーばす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
: [はま]
 【名詞】 1. beach 2. seashore 
: [し]
  1. (n-suf) city 
市営 : [しえい]
 【名詞】 1. municipal management 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

横浜市営トロリーバス : ウィキペディア日本語版
横浜市営トロリーバス[よこはましえいとろりーばす]

横浜市営トロリーバス(よこはましえいトロリーバス)は、横浜市交通局が運営していた無軌条電車(トロリーバス)である。日本で最も遅く開業し、最後まで残った都市型トロリーバスであり、起伏の多い横浜駅北部の住宅街を一周する環状運転を行っていた。
== 概要 ==

横浜市営トロリーバスは1959年7月16日に12両で開業した。開業当初は常盤園前から横浜駅西口を経由して三ツ沢西町で折り返し運転を行っていたが、同年12月に三ツ沢西町 - 常盤園前間が開通し、横浜駅西口を起点とする環状運転となった。運行系統番号は101系統(内回り)と102系統(外回り)であった〔『横浜市営交通八十年史』横浜市交通局 2001年、p.224〕。開業当初よりワンマン運転を実施〔『横浜市営交通八十年史』横浜市交通局 2001年、p.226〕。
1964年東京オリンピックでは三ツ沢競技場サッカー会場となり、選手や観客の輸送に活躍した〔『横浜市営交通八十年史』横浜市交通局 2001年、p.226〕。
自動車の爆発的増加による影響を受け、横浜市営交通も経営悪化に悩まされていた。1963年には横浜市電を廃止し、トロリーバス化することが「横浜国際港都建設総合基幹計画」改訂版に明文化されたが〔『横浜市営交通八十年史』横浜市交通局 2001年、p.234〕、市長の交代による計画変更で実現しなかった。1961年度からトロリーバス事業は黒字であったが、他部門の赤字を補填できる規模ではなかった。また国道1号国道16号を走行するため、トロリーバスも交通渋滞に巻き込まれるようになった。1966年には「交通事業財政再建計画」が策定され、市電とトロリーバスの廃止が計画された。1971年度にトロリーバス事業は再び赤字に転落し、その年度末である1972年3月31日に横浜市電と共に全廃された〔『横浜市史Ⅱ 第三巻(上)』横浜市 2003年、pp.263-266〕。
車体の更新時期にあたりバス1台約350万円に対しトロバスは1両約1200万円であったこと、市電が廃止されるためトロバスのために変電所を残しておくことは不経済であることが要因であった〔三神康彦「横浜市無軌条電車」『鉄道ピクトリアル』No.279〕。
廃止翌日より横浜市営バス201・202系統が代替運行され現在に至る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「横浜市営トロリーバス」の詳細全文を読む




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