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横浜電気鉄道株式会社(よこはまでんきてつどう)は、1904年(明治37年)から1921年(大正10年)まで神奈川県横浜市で路面電車を運行していた民間企業。 横浜では1895年(明治28年)頃から路面電車の計画が具体化したが、4名の出願者が乱立し、さらに競合を恐れた人力車業界の反対もあり、申請は難航したという〔安田善次郎の鉄道事業 北山敏和の鉄道いまむかし〕。 1899年(明治32年)9月、平沼延次郎(横浜の富豪、平沼専蔵の養子)ほか22名の申請に対し認可が下り、資本金100万円で横浜電気鉄道株式会社が設立された。設立にあたって、安田財閥創始者の安田善次郎を顧問に迎え、助言や資金援助を受けている。ただし、人力車業界との取り決めにより着工は認可の3年後とされたため、創立総会は1902年(明治35年)4月に行われた。 1904年(明治37年)7月15日、横浜市初の路面電車として営業を開始。当初路線は、青木橋(神奈川駅の西) - 大江橋(桜木町駅の南東)間を海岸沿いに結び、運賃は片道3銭(日露戦争による通行税課税後は4銭)とされた。 路線は次第に拡大し、1911年(明治44年)には本牧線(西ノ橋 - 箕輪下(本牧半島東端の本牧原)が開通、翌年には八幡橋(根岸駅の西)〔チンチン電車の町だった 磯子区ホームページ〕まで延伸され、1914年(大正3年)には弘明寺(弘明寺駅前)に達した。1913年(大正2年)開通の西戸部線は当初、戸部橋(高島町駅付近、戸部七丁目) - 日本橋(吉野町駅付近)間〔 - かつて市電が通った - 横浜にも下町があったんだ〕で本線と接続されていなかった〔横浜市内鉄道改良工事 神戸大学 新聞記事文庫〕。最終的に10路線に達し、路線延長は1919年(大正8年)時点で約20kmに及んだ。 業績は好調で増資を重ね、資本金は600万円に達した。ところが第一次世界大戦後の大正バブル崩壊(戦後恐慌)で、善次郎引退後の安田財閥と対立、資本引き上げを招いてしまう。さらに物価高騰や不動産事業の不調などにより経営が悪化し、1920年(大正9年)4月の運賃改訂申請(大幅値上げ)への新聞や市民の反発をきっかけに、市営化が検討されることとなる。 結局、翌年横浜市に688万円で全路線を売却し、会社は解散した。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横浜電気鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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