|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 横 : [よこ] 【名詞】 1. beside 2. side 3. width ・ 瀬 : [せ] 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal
横瀬 貞臣(よこせ さだおみ、享保18年(1733年) - 寛政12年10月25日(1800年12月11日))は、江戸時代の高家旗本。近世武家三歌人の筆頭。高家旗本・横瀬貞国の次男。通称は貞次郎、兵庫、式部。官位は従四位下侍従・駿河守と称す。 実兄横瀬貞隆の末期養子となる。宝暦13年(1753年)2月15日将軍徳川家治に御目見する。明和2年(1765年)3月7日家督を相続する。安永2年(1773年)8月12日、高家職に就き、従五位下侍従・駿河守に叙任する。後に従四位下に昇進する。寛政12年(1800年)10月25日死去、68歳。 寛政6年閏11月3日将軍徳川家斉の仰せにより、鉢に植えた梅を題にした和歌を数首詠み献じるなど、寛政期の歌人として知られている。歌道に精通していたことは、高家として朝廷と交渉する立場上、非常に有利に働いたとされる。 正妻は高家旗本織田信錦の養女(平岩親教の娘)、後妻は松田勝易の養女。子女に長男貞樹(夭折)、次男貞径ら二男二女あり。 == 歌人 == 貞臣は同じく幕臣の石野広通・内藤正範とともに近世武家三歌人の筆頭に名が挙げられている。冷泉家に入門し冷泉流の歌道を極め、また、武家随一の定家様の書き手であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横瀬貞臣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|