翻訳と辞書
Words near each other
・ 横田創
・ 横田努
・ 横田勇
・ 横田千之助
・ 横田千里
・ 横田卓馬
・ 横田和彦
・ 横田哲治
・ 横田商会
・ 横田商会 (DJユニット)
横田喜三郎
・ 横田嘉右衛門
・ 横田国臣
・ 横田城
・ 横田城 (信濃国)
・ 横田城 (陸奥国)
・ 横田基地
・ 横田増生
・ 横田夕子
・ 横田孝史


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

横田喜三郎 : ミニ英和和英辞書
横田喜三郎[よこた きさぶろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [み]
  1. (num) three 

横田喜三郎 : ウィキペディア日本語版
横田喜三郎[よこた きさぶろう]

横田 喜三郎(よこた きさぶろう、1896年明治29年)8月6日 - 1993年平成5年)2月17日)は、日本国際法学者、第3代最高裁判所長官学位法学博士東京帝国大学)。栄典従二位勲一等文化勲章文化功労者紺綬褒章江南市名誉市民など。国務大臣を務めた猪口邦子は孫にあたる。
== 人物 ==
かつてはマルクス主義の読書会(ベルリン社会科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者として知られ、軍部に睨まれたこともあった。極東国際軍事裁判(東京裁判)の法的な不備を認めながらも、裁判自体については肯定的評価を与え、「国際法の革命」と論文で述べた。なお、東京裁判では裁判の翻訳責任者を務めた。その後、東京大学法学部長、日本学士院会員などの地位にあって日本の国際法学会をリードし、日本の国際法研究から戦時法研究を追放することに尽くした。
1949年(昭和24年)の著書『天皇制』などにおいて、積極的な天皇制否定論を提唱した。
晩年、最高裁長官など政府高官に就任すると、過去の天皇制否定論を自身の地位の都合の悪いものとして隠蔽するようになる。特に、東京中の古本屋を回って著書『天皇制』を買い集め、自分のかつての天皇否定論の痕跡を消そうとしたのは有名な話である。〔中西輝政・福田和也著『皇室の本義』PHP研究所、118頁〕
小室直樹渡部昇一は対談で「横田喜三郎、これほど犯罪的という形容が相応しい学者は他にいない」として横田を批判している(小室直樹・渡部昇一『自ら国を潰すのか』徳間書店)。とりわけ、「日本の国際法研究から戦争研究を追放したこと」「東京裁判を法理論的に承認したこと」について小室は横田を厳しく論難している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「横田喜三郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.