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横田 喜三郎(よこた きさぶろう、1896年(明治29年)8月6日 - 1993年(平成5年)2月17日)は、日本の国際法学者、第3代最高裁判所長官。学位は法学博士(東京帝国大学)。栄典は従二位・勲一等・文化勲章・文化功労者・紺綬褒章・江南市名誉市民など。国務大臣を務めた猪口邦子は孫にあたる。 == 人物 == かつてはマルクス主義の読書会(ベルリン社会科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者として知られ、軍部に睨まれたこともあった。極東国際軍事裁判(東京裁判)の法的な不備を認めながらも、裁判自体については肯定的評価を与え、「国際法の革命」と論文で述べた。なお、東京裁判では裁判の翻訳責任者を務めた。その後、東京大学法学部長、日本学士院会員などの地位にあって日本の国際法学会をリードし、日本の国際法研究から戦時法研究を追放することに尽くした。 1949年(昭和24年)の著書『天皇制』などにおいて、積極的な天皇制否定論を提唱した。 晩年、最高裁長官など政府高官に就任すると、過去の天皇制否定論を自身の地位の都合の悪いものとして隠蔽するようになる。特に、東京中の古本屋を回って著書『天皇制』を買い集め、自分のかつての天皇否定論の痕跡を消そうとしたのは有名な話である。〔中西輝政・福田和也著『皇室の本義』PHP研究所、118頁〕 小室直樹と渡部昇一は対談で「横田喜三郎、これほど犯罪的という形容が相応しい学者は他にいない」として横田を批判している(小室直樹・渡部昇一『自ら国を潰すのか』徳間書店)。とりわけ、「日本の国際法研究から戦争研究を追放したこと」「東京裁判を法理論的に承認したこと」について小室は横田を厳しく論難している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横田喜三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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