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横田 虎彦(よこた とらひこ、1857年1月13日(安政3年12月18日〔衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、3頁。〕)- 没年不詳)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員。 ==経歴== 肥前国高来郡深江村(現:南島原市)で、豪農・横田政八の第五子として生まれる〔『近畿弁護士評伝』127-133頁。〕。漢籍を修め、その後、長崎に出てドイツ語を学ぶ〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』701頁。〕〔。1875年、東京に移り小学校教員、陸軍教導団入団、新聞社創設、政党設立などの活動を行う〔。1882年、鹿児島に移り法律学を研究して、1885年8月、代言人試験に合格し、鹿児島に事務所を開いた〔。 1888年、大阪に事務所を移転〔。大阪市会議員、大阪府会議員、同参事会員、大阪組合弁護士会長などを歴任〔。また、関西日報、大阪自由新聞を発刊した〔〔。 1902年8月、第7回衆議院議員総選挙で大阪市選挙区から出馬し当選〔。その後、第8回、第9回、第10回総選挙(北海道庁函館外三支庁管内)で当選し、衆議院議員を通算四期務めた〔。 1909年、日本製糖汚職事件で拘禁され、同年6月28日、衆議院議員を辞職〔『官報』第7802号、明治42年6月29日。〕。同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固10ヶ月の有罪の判決が言い渡された〔「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」504-511頁。〕。その後、判決を不服として控訴、上告を行ったが、同年12月17日に大審院で判決が言い渡され、上告棄却となり有罪が確定した〔「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」498頁。『東京朝日新聞』1909年12月18日、朝刊5頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横田虎彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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