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横西 奏恵(よこにし かなえ、1974年7月6日 - )は、日本の元ボートレーサーである。登録番号3774。76期生。徳島支部所属。師匠は濱村芳宏。身長156cm。血液型A型。石川県白山市(旧松任市)出身〔第12回JAL女子王座決定戦競走 出場選手プロフィール (競艇オフィシャルWeb) 〕〔スポーツ報知2008年3月10日〕。生後まもなく徳島県に移り住んだ〔競艇マクール2005年2月号〕。一時期埼玉県川口市に在住し、戸田競艇場でレースを見たことが選手を志すきっかけになった。 ニックネームは「かなちゃん」「横ちん」。 2010年12月1日にボートレーサーの山崎智也と結婚。これにより本名は山崎 奏恵となったが登録名は旧姓のままで変更されていない。 == 来歴 == 埼玉県立川口青陵高等学校出身〔スポーツ報知2008年3月10日〕〔日刊スポーツ2006年6月14日掲載のインタビュー記事「挑戦者たち」〕〔LOVE & BEAUTY for 2008 Queen 第2号 2007年8月7日発行(津競艇リーフレット) 〕。3度目の受験で本栖研修所に合格〔日刊スポーツ2006年6月14日掲載のインタビュー記事「挑戦者たち」〕。1994年3月、76期訓練生として本栖研修所へ入所。同期には原田幸哉・瓜生正義・魚谷智之など。 1995年4月19日、第76期本栖研修所修了記念競走で優勝。女子選手としては史上4人目の本栖チャンプとなる〔横西奏恵:記憶と記録に残り続ける現代最強の女子レーサー(競艇選手列伝:競艇ブログ) 〕。1995年5月20日、鳴門競艇場で初出走2着。同日2走目で初勝利を飾る〔スポーツ報知2008年3月10日〕。 1999年3月5日、尼崎競艇場にて開催された第12回女子王座決定戦競走(当時GII)優勝戦で悲願のデビュー初優勝〔第12回JAL女子王座決定戦競走 12R 優勝戦 (競艇オフィシャルWeb) 〕。フライング2本持ちと絶体絶命の重荷を背負いながらも、大外からコンマ.10の全速まくりを決めてインに陣取っていた鵜飼菜穂子、海野ゆかり、高橋淳美らの強豪を一気に沈めて栄光を掴み取った。 2006年3月5日、浜名湖競艇場にて開催された第19回JAL女子王座決定戦競走 (GI)優勝戦で7年ぶり2度目の優勝〔第19回JAL女子王座決定戦競走 12R 優勝戦 (競艇オフィシャルWeb) 〕。この年の総理大臣杯競走の出場権を得る。2006年3月16日 - 3月21日、平和島競艇場にて開催された第41回総理大臣杯競走(SG)に初出場。女子選手としては寺田千恵以来となる史上2人目のSG優勝戦進出(6着)〔第41回総理大臣杯競走 12R 優勝戦 (競艇オフィシャルWeb) 〕を果たす。2006年12月19日 - 12月24日、住之江競艇場にて開催された第21回賞金王シリーズ戦競走(SG)に初出場。 2007年7月29日、丸亀競艇場にて開催された女子リーグ第5戦で完全優勝を達成した。2007年8月4日、三国競艇場にて開催された女子リーグ第6戦2日目最終12競走で1着を取り、16連勝を達成〔登録3774号『横西選手 16連勝記録』達成 (競艇オフィシャルWeb) 〕。女子選手の連勝記録を更新する。翌8月5日(3日目)、第7競走でも勝利し、17連勝まで記録を伸ばすも、後半第11競走は3着だった。 2008年3月9日、津競艇場にて開催された第21回JAL女子王座決定戦競走(GI)優勝戦で2年ぶり3度目の優勝〔第21回JAL女子王座決定戦競走 12R 優勝戦 (競艇オフィシャルWeb) 〕を飾る。3度目の女子王座優勝は鵜飼菜穂子と並び、歴代最多タイとなった。 2009年後期(7月1日~12月31日)適用勝率で、女子レーサー史上初の8点レーサーとなる勝率8.05(2連対70.30%・3連対80.20%)をマークしている〔平成21年7月(2009年後期)から適用の選手級別が決定 (競艇オフィシャルWeb) 〕。 2010年は、第23回JAL女子王座決定戦競走(GI)準優勝戦でフライングを切ってしまい、GI競走3か月除外(当時の罰則)に加えて出走回数不足でB1に降級。その後、女子リーグで3回優勝したが、児島競艇の女子リーグ戦でフライングを切ってしまい、2011年の第24回女子王座決定戦競走(GI)の出場ができなくなってしまった。 2011年の笹川賞で夫の山崎智也と共にドリーム戦に出場(SGドリーム戦で史上初の夫婦対決となった)。女性選手がSG競走でドリーム戦に出場し1着という史上初の快挙を達成した。さらに5年ぶりとなるSG優勝戦進出し、2コースからコンマ.09の好スタートを決め女性レーサー・史上初のSG競走制覇の期待が掛かるものの6着に終わった。 2012年12月19日付で引退したことが発表された〔横西奏恵選手が本日付で引退 (BOAT RACEオフィシャルWeb) 〕。最後のレースは、3日前の12月16日に大村競艇場で行われた第1回賞金女王決定戦6日目(最終日)第10競走の順位決定戦で4着だった。そして横西の引退日から4日後の12月24日に夫の山崎智也がBOAT RACE住之江で行われた第27回賞金王決定戦のファイナルを制し開始前の12位からの大逆転での初の賞金王を決めて見せた。翌日の新聞には『妻・奏恵の夢をかなえた!』と見出しが躍り写真には夫・山崎智也と妻・横西奏恵の感激のハグが映った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横西奏恵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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