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横須賀海軍航空隊(よこすかかいぐんこうくうたい)とは、大日本帝国海軍で最初に設立され、終戦まで存続した航空部隊。航空隊要員の教育・練成、新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当した。有事の際は東京湾防衛の任に就くことになっており、戦況の押し詰まった1944年(昭和19年)2月からは、実戦配備にも付いた。 == 沿革 == 1912年(明治45年)に発足した「海軍航空術研究委員会」は日本海軍航空隊の基礎を作ってきた。航空機の国産化が始まり、搭乗員養成も軌道に乗ってきたことで更なる航空機の整備・拡充を図るため1916年(大正5年)に航空隊三隊計画が成立した。同年4月1日、「海軍航空術研究委員会」を発展解消させる形で、横須賀海軍航空隊が神奈川県横須賀市追浜に開隊した〔『海軍飛行豫科練習生 第一巻』35頁〕。 1923年(大正12年)9月1日、関東大震災により、施設・機材に大きな損害を受けた。1930年(昭和5年)6月1日に海軍飛行予科練習生の1期生が入隊、以降昭和14年まで横須賀で予科練の教育がおこなわれた。1932年(昭和7年)頃より「源田サーカス」と呼ばれるアクロバット飛行隊を作り、国民に海軍航空隊のアピールを行った。 1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争開戦。 1944年(昭和19年)2月より実戦配備につく。6月15日、あ号作戦発動にともない、第27航空戦隊と八幡空襲部隊を編成し、マリアナ方面の後詰として硫黄島へ進出した。度重なる空戦と硫黄島への爆砲撃により、7月4日までに全機材を喪失。残存隊員は輸送機で横須賀に帰還するが、一部の隊員はそのまま硫黄島の守備につき、のちに玉砕した。その後は九州に進出しての特攻攻撃援護、および関東地区防空戦に従事した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横須賀海軍航空隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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